冷戦時代の秘匿CIA拠点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 09:16 UTC 版)
「知念補給地区」の記事における「冷戦時代の秘匿CIA拠点」の解説
1951年、朝鮮戦争のさなか、陸軍混成サービス群地区 (CGS) が結成される。 「 1960年代から70年代初頭にかけて、私たちはキャンプ知念に住んでいた。表向きは陸軍の補給施設とされ、外側からはリゾート施設のようにも見えた。島の東部にある180ヘクタール近い広大な敷地にパステルカラーの家100軒、レストラン、教会、9ホールのゴルフ場があった。その見掛けとは裏腹に、CIA施設の中で最も機密性が高く、アジア全体の任務に大きな役割を果たす施設だった。 」 —【沖縄とCIA ロバート・ジャクソン回顧録】(1)アジア謀略作戦の拠点 森に隠れ家、特殊訓練も(沖縄タイムスより) 1971年6月13日、いわゆるペンタゴン・ペーパーズとして知られる一連のニューヨーク・タイムズのスクープによって、キャンプ知念が米陸軍基地というのは表向きで、実際には陸軍基地を隠れ蓑にしたアジア最大級の極東戦略の CIA(アメリカ中央情報局)拠点であることが判明、大きな政治問題となり閉鎖されることになった。1961年のエドワード・ランズデール将軍からマクスウェル・テイラー将軍に送られた極秘のメモには、知念補給地区の沖縄CIA支援基地は、準軍事的な訓練、研究、物流施設に加え、秘密収容施設を含んでいたことが記されていた。 沖縄のステーションはそれ自体が準軍事的支援資産であり、極東における不正規戦争 (UW) 活動の広範囲における支援が要請される危機的状況では、その基地全体としてこの任務にあてることが可能である。キャンプ知念に位置し、米陸軍基地の表向きのもとで、武器や爆発物から医療や衣類に至るまで、あらゆる兵站物資の貯蔵、試験、包装、調達、配達に必要なすべてのタイプの施設を備えた自己完結型基地で構成されている。それは制御された領域であるため、単独個体や小グループだけでなく、小グループ訓練での秘密情報作戦の対象物を見事に収容することができる。 — The Pentagon Papers "The Strategic Hamlet Program, 1961-1963" 1971年9月28日に沖縄タイムスが報じたキャンプ知念の記事を、さらに読谷の米軍基地にある FBIS が「沖縄タイムスが沖縄のCIA基地を暴露」と英訳し本国に送信した。 1972年7月31日、CIA基地 (CGS) が閉鎖され、アメリカ陸軍特殊部隊 (グリーンベレー) の訓練センター、語学学校などになった。 1974年、沖縄に接収地が全面返還される。 2011年6月13日、ニューヨーク・タイムズのスクープからちょうど40年後「ペンタゴン・ペーパーズ」の機密指定が解除され、国立公文書記録管理局などが全文を公式ウェブサイトで公開、全7,000ページのうち、これまで明らかになっていなかった2,384ページも閲覧できるようになった。 2013年、知念補給地区の内部に外国人捕虜などを拘禁する秘密収容施設があったことなどが沖縄タイムスの取材でより明らかになった。証言によると、知念補給地区では軍人の姿はほぼ見られず、職員はワシントンのCIAから約3年交代で赴任していたこと、沖縄の別の米軍基地から出入りする米軍関係者はおらず、琉球列島米国民政府 (USCAR) の最高責任者である高等弁務官ですら訪問時には所定の手続きが必要だったという。 2017年、沖縄タイムスはこれまでほとんど知られることがなかったキャンプ知念について関係者に取材したロバート・ジャクソン回顧録を連載した。 「 技術者が働く「ショップ」と呼ばれる工房は、保安のためダイヤル式の錠が毎月交換されていた。彼らは盗聴、写真、武器の専門家だった。備品室にはパスポートを偽造、改ざんするため、タイプライター、入国管理局のスタンプ、ありとあらゆる種類の紙、インク、のりがそろっていた。工具で鍵を開ける練習をしたり、合鍵を作ったりするため外国の錠前もあった。 」 —【沖縄とCIA ロバート・ジャクソン回顧録】(1)アジア謀略作戦の拠点 森に隠れ家、特殊訓練も(沖縄タイムスより)
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