冷戦時代の核競争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 19:13 UTC 版)
冷戦時代には、アメリカとソ連の間で核兵器の大量製造、配備が行われた。1952年にイギリス、1960年にフランス、1964年に中国、1974年にインドが原子爆弾を開発・保有した。1952年にアメリカ、1955年にソ連、1958年にイギリス、1967年に中国、1968年にフランスが水素爆弾を開発・保有した。核兵器の量は地球上の全人類を滅ぼすのに必要な量を遥かに上回っていた。核兵器保有国は最盛期には、アメリカは1966年に約32,000発、ソ連は1986年に約45,000発、イギリスは1981年に350発、フランスは1992年に540発、中国は1993年に435発、五か国合計で1986年に約7万発 を保有していた。また、核による先制攻撃を通じて相手国に致命的なダメージを負わせ、戦争に勝利するという戦略を不可能にするべく、相手国の攻撃を早期に探知し、報復するためのシステムが構築された。この戦略は相互確証破壊(Mutually Assured Destruction, MAD)と呼ばれ、冷戦期の核抑止をめぐる議論で重要な役割を果たした。また核兵器を搭載したロケット、ミサイルの性能を誇示するため宇宙開発競争が起こり、ボストーク1号の有人宇宙飛行、アポロ11号の有人月面着陸に繋がった。 また核兵器の小型化にともない冷戦期には戦略的な使用のみならず戦場などで使用される戦術核兵器も開発され、同時代のミサイルの信頼性の低さを補うための対空核ミサイル、潜水艦を確実に沈めるための核魚雷、敵部隊を一撃で殲滅するための核砲弾など、ありとあらゆるものの核兵器化が行われた。戦略爆撃機、弾道弾搭載原子力潜水艦(SSBN)、大陸間弾道弾(ICBM)の三つは戦略核の三本柱(トライアド)といわれた。 冷戦期には核兵器管理に関連してブロークン・アロー(核兵器の紛失・落下事故)も問題となった(パロマレス米軍機墜落事故やチューレ空軍基地米軍機墜落事故を参照)。
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