捕虜の交換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 05:18 UTC 版)
2012年5月に、アメリカでスパイの罪に問われて1990年代から服役しているキューバ人諜報員「キューバン・ファイブ(英語版)」と、キューバで違法な通信衛星機器を設置して逮捕されたアメリカ合衆国国際開発庁(USAID)の下請け業者アラン・グロス(英語版)の「捕虜交換」をアメリカ側が拒否したと報じられた。 アメリカはその後に方針を急転換することになった。2014年12月にアメリカ合衆国大統領バラク・オバマがキューバと国交正常化を目指すと発表したが、その取り組みの一環として、「捕虜交換」が実施された。グロスのほかに、アメリカの諜報機関のエージェントとして働き、20年近くキューバで服役していたローランド・サーハフ・トルヒーヨ(英語版)も釈放された。2015年1月12日にはアメリカとの国交正常化交渉の一環として、キューバが政治犯53人の釈放を完了したことが明らかになった。 捕虜の交換は1962年に禁輸措置を発動して以来の、ホワイトハウスの対キューバ政策の歴史的な方針転換となった。これで両国関係の障害も取り除かれた。
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