捕虜のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 01:12 UTC 版)
1919年12月末より翌1920年1月末にかけて、ヴェルサイユ条約の締結により、捕虜の本国送還が行われた。約170人が日本に残り、収容所で培った技術で生計をたて、肉屋、酪農、パン屋、レストランなどを営んだ。一方本国ドイツに帰国した者たちは、荒廃し貧困にあえぐ戦後の状況の中、“青島から帰還した英雄”と歓迎された。収容所の中で“極東文化”に興味を持った者が後にドイツで日本学者、中国学者となる事例もあり、日本語や中国語の教科書が出版されドイツで普及するなど、収容所の影響は学問分野にもみられる。
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