捕虜のその後と翌年の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/26 10:24 UTC 版)
「かんじきの戦い (1757年)」の記事における「捕虜のその後と翌年の戦い」の解説
フランス軍のルイ=アントワーヌ・ブーゲンヴィユは、戦闘中に捕虜となったロジャーズ・レンジャーズの兵から、イギリス軍の兵士や物資は、オールバニからウィリアム・ヘンリー砦に配備されていることを知った 。他のイギリスの捕虜は、インディアンの奴隷になった。2年近い奴隷生活を送り、ミシシッピー川まで移動させられ、1758年の11月に、オールバニにたどり着いたトマス・ブラウンは、自らの体験を生々しく綴った冊子を出版した。また、このかんじきの戦いとほぼ同じ戦いが、翌年にも行われ、この戦闘でロジャーズは殺されかけ、レンジャーズの兵の多くが戦死した。
※この「捕虜のその後と翌年の戦い」の解説は、「かんじきの戦い (1757年)」の解説の一部です。
「捕虜のその後と翌年の戦い」を含む「かんじきの戦い (1757年)」の記事については、「かんじきの戦い (1757年)」の概要を参照ください。
- 捕虜のその後と翌年の戦いのページへのリンク