経済制裁の解除
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 13:08 UTC 版)
1991年のデクラーク大統領によるアパルトヘイト法撤廃方針を受けて欧州共同体(EC、のち欧州連合・EU)、アメリカ、日本は次々と経済制裁を解除していった。しかし当時、ANCなど解放組織は「経済制裁の解除は時期尚早」と訴えた。経済制裁を主導した国連が総会において経済制裁撤廃決議をしたのは1993年10月になってからである。 当時の世界経済の背景には、当時冷戦下における西側諸国は、南アフリカ共和国がレアメタルの独占的産出国であり、南アフリカ共和国からこれら資源を輸入しなくては、敵国ソ連から輸入せざるを得ない状況であった。それ故にアパルトヘイト政策を非難する経済制裁を発することが出来ず、南アフリカ政府はアパルトヘイト政策を継続できた。ところが冷戦終結により旧東側諸国からのレアメタルの資源供給が容易になり、南アフリカ共和国の国際社会での立場が弱まり、欧米などから経済制裁を受けたことがアパルトヘイト撤廃に繋がっていった。
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