絵
『雨月物語』巻之2「夢応の鯉魚」 延長(923~931)の頃、三井寺に興義(こうぎ)という僧がいて、絵の名手だった(*→〔魚〕2)。仏像・山水・花鳥の絵も描いたが、とりわけ鯉魚の絵を得意とした。彼は臨終に際し、鯉魚の絵数枚を琵琶湖に散らすと、鯉魚が紙絹から抜け出して泳いだ。そのため、興義の絵は現存しない(*興義の弟子成光も、有名な絵師だった→〔絵〕5の『古今著聞集』巻11「画図」)。
『祇園祭礼信仰記』「金閣寺」 謀叛人松永大膳は、足利将軍の母尼公を金閣寺の2階に幽閉し、雪舟の孫娘雪姫を庭の桜の樹に縛りつける。雪姫が雪舟の故事(*→〔絵〕5)にならって、爪先で桜の花びらを集め鼠を描くと、白鼠が現れ、姫を縛った縄を食い切る。そこへ此下東吉(=真柴久吉)が来て、雪姫と尼公を助ける。
『太平広記』巻212所引『盧氏雑説』 呉道玄が某寺を訪れるが、応対が無礼だったので、寺の壁に驢馬を描いて去る。夜、驢馬は抜け出て寺の家具類を踏み荒らす。僧が詫び、呉道玄は絵を消す。
*絵から抜け出る虎→〔虎〕2の『傾城反魂香』(近松門左衛門)「土佐将監閑居の場」。
*絵の虎を縛れとの難題→〔難題問答〕1aの『一休と虎』(昔話)。
『古今著聞集』巻11「画図」第16・通巻385話 仁和寺の御室の壁に、巨勢金岡が馬の絵を描いた。その馬は夜ごとに絵から抜け出て、近辺の田の稲を食い荒らした。馬の絵の足に土がついて濡れていることが何度もあったので、人々が怪しんで馬の目をほじくり出した。その後、馬は絵から抜け出なくなった。
摩利支天さんの龍の伝説 妻波の岩崎神社造営の折、宮大工の夢に本尊摩利支天の化身が現れて、本殿正面の上り龍・下り龍の彫り方を教えた。おかげで見事な彫刻ができたが、夜になると龍が動き出し、池を泳ぐようになったので村人は恐れる。相談の結果、龍の目玉に釘を打ち込んだところ、龍は池に出なくなった(鳥取県東伯郡大栄町)。
*絵の虎に瞳を点じると抜け出し、瞳をつぶしたら絵に戻った→〔瞳〕1の『南総里見八犬伝』第9輯巻之27~29。
*岩の絵の馬が抜け出すので、手綱を描いたら岩に戻った→〔石〕9dの『ふしぎな馬』(松谷みよ子『日本の伝説』)。
『里芋の芽と不動の目』(森鴎外) 増田博士の兄は、旧思想の破壊に熱心だった。明治維新前後の動乱期、母は不動様の掛物を毎日拝んで、兄の無事を祈った。後に母からそのことを聞かされた時、兄は「こんな物を拝んだのですか」と言って、線香の火を不動様の目の所に押しつけ、両目とも焼穴にしてしまった。不動様の罰か、親の罰かわからないが、まもなく兄は病気になって死んだ→〔同音異義〕2。
★2a.絵から抜け出る女。
『太平広記』巻286所引『聞奇録』 男が屏風の美女に心奪われ、絵師に教えられて、百日間美女の名を呼び続ける。美女は呼びかけに答え、酒をそそぐと、生身の人間となる。男と美女は結婚し、子供も生まれる。ある時、友人が「この女は妖怪だから切れ」と言って剣を届ける。美女は「私は南嶽の地仙だ。疑われたからには、もういられない」と告げ、子供を連れて絵に戻る。
『衝立の乙女』(小泉八雲『影』) 書生篤敬が、衝立に描かれた女に恋する。篤敬は老学者の教えに従い、女に名前をつけて毎日呼び続け、百軒の違う酒屋から買った酒を捧げると、女は衝立から出て篤敬の花嫁となる。篤敬は来世までも変わらぬ愛を誓い、女は衝立に戻ることなく添い遂げる。
『魔法のチョーク』(安部公房) アルゴン君がチョークで壁に食べ物の絵を描くと、それは本物になる。アルゴン君は世界を創造するためイヴを描く。イヴは壁から抜け出、チョークでピストルを描き、アルゴン君を撃つ。アルゴン君が気づくとすべて壁の絵に戻っている。壁の絵を食べ続けて肉体が壁化したアルゴン君は、壁に吸いこまれてイヴの絵の上に重なる。
*テレビ画面から出て来る少女→〔井戸〕1cの『リング』(中田秀夫)。
『奇妙な死』(アルフォンス・アレ) 画家が海水で絵の具を溶き、美しい海の水彩画を描いて恋人にプレゼントする。恋人の部屋に掛けられた絵は、月の引力によって、現実の海と同様に潮の満ち干を起こす。ある晩、海岸に大津波が押し寄せたので、画家は心配して恋人の所へ行く。水彩画が氾濫して、恋人は部屋の中で溺死していた。
『メリー・ポピンズ』(スティーブンソン) 大道芸人のバートが、舗道にいくつもの絵を描いている。そこへ幼い姉弟のジェーンとマイケルと、乳母のメリー・ポピンズがやって来る。メリー・ポピンズの魔法で、4人はジャンプして、田園風景が描かれた絵の中へ入り込む。彼らは歌い踊り、メリーゴーラウンドの木馬に乗って、楽しい1日を過ごす。
『聊斎志異』巻1-6「画壁」 朱孝廉が、ある寺の壁画に描かれた少女を見て心ひかれる。いつしか彼は壁画の中に入りこみ、2日ほど少女とともにすごした後、寺僧に壁の中から呼び出されて、われに返る。
『夢』(黒澤明)第5話「鴉」 「私(中年の男)」は展覧会場でゴッホの絵を見ていた。「私」は「アルルのはね橋」の絵の中に入り込み、ゴッホと出会う。ゴッホは顔に包帯をしており、「昨日、自画像を描いていて、耳がうまく描けなかったから切り捨てた」と言った。スケッチ場所を捜して歩み去るゴッホを、「私」は追いかける。ゴッホの絵の中の世界を歩き回るうち、やがて「私」は展覧会場へ戻り、「鴉のいる麦畑」の絵の前に立っていた。
『押絵と旅する男』(江戸川乱歩) 青年が、押絵に描かれた八百屋お七の美しい姿に恋をする。青年は弟に、「遠眼鏡を逆向きにして自分を見てくれ」と命ずる。弟が大きなレンズを目に当てると、兄の姿が2尺くらいに縮小されて見える。兄は後じさりしてさらに身体を縮小し、絵の中に入りこむ。兄は押絵となって、お七に寄り添う→〔絵〕4。
『果心居士のはなし』(小泉八雲『日本雑録』) 明智光秀が果心居士を招いて酒を飲ませる。果心居士は「お礼に芸をお目にかけましょう」と述べ、部屋の近江八景屏風絵を見るように言う。絵の中で1人の男が小舟をこいでおり、それがしだいに近づいて来て、水が部屋へあふれ出る。果心居士が画中の舟に乗り込むと、舟はだんだん遠ざかり、やがて沖合いの小さな一点となって、消えてしまった。
『観画談』(幸田露伴) 学問で身を立てようと刻苦する男が、原因不明の病気になって山寺にこもる。大雨の夜、男は洋燈(ランプ)を手に、部屋の掛け軸の山水風俗画を見る。画中の老船頭が舟を出そうとして、「乗らないか乗らないか」と呼ぶ。男が「今行くよ」と返辞をしようとした時、隙間風に洋燈はゆらめき、舟も船頭も遠くへ去った。男の病気は治った。男は学業を廃し、平凡人となって世に埋もれた。
『押絵と旅する男』(江戸川乱歩) 25歳の青年が押絵の八百屋お七に恋し、自らも絵の中に入りこむ。しかし年月の経過とともに青年は老い、ついには、白髪でしわだらけの老人が若い娘に寄り添う絵になってしまう。老人の絵姿には、悲痛と苦悶の表情があらわれる。
『百物語』(杉浦日向子)其ノ65 茶器商が、越後の酒問屋の旦那に、注文の茶碗を届ける。旦那は、掛け軸に描かれた美女を茶の相手として語りかけ、飲み食い興じる。20年後、茶器商は再び酒問屋を訪れ、「絵が年を取ったようだ」と不思議がる。「はい。年を取りました」と旦那は答える。「共に老いようと、徐々に描き加えています。そうでないと、私ばかりが老いてゆく」。
★5.本物そっくりの絵。
『イソップ寓話集』(岩波文庫版)201「喉の渇いた鳩」 喉の渇いた鳩が、画板に描かれた水甕を本物だと思い、飛んで行ってぶつかった。鳩は翼を折り、地面に落ちて、人間につかまった。
『古今著聞集』巻11「画図」第16・通巻391話 絵師成光が、閑院の障子に鶏の絵を描いた。生きた鶏がこれを見て本物と思い、蹴った(*成光は、『雨月物語』巻之2「夢応の鯉魚」の興義の弟子である→〔絵〕1a)。
雪舟の伝説 雪舟は少年時、絵ばかり描いていたので、師僧が怒って寺の本堂の柱に縛りつけた。夕方、師僧が縄を解こうとすると足もとに鼠がおり、追っても逃げない。それは雪舟が足指を使い、自分の涙で板の間に描いた絵だった。
*蔦の葉の絵→〔身代わり〕3bの『最後の一葉』(O・ヘンリー)。
*腐乱死体の絵→〔わざくらべ〕1aの『今昔物語集』巻24-5。
『炎天』(ハーヴィー) 8月の炎暑のある日、1人の画家に気まぐれな画想が浮かぶ。画家は、裁判で判決を受けた被告の姿を、鉛筆で描いてみる。よく描けたので満足して外出すると、絵にそっくりの男に出会う。その男は石屋だった。画家は、知らずして石屋の未来の姿を描いていた→〔墓〕7。
『青銅の基督』(長与善郎) 切支丹禁制時代の長崎。南蛮鋳物師・萩原裕佐は、役人から「紙の踏み絵ではすぐボロボロになるから、鋳物の踏み絵を作ってほしい」と依頼される。裕佐は、かつて切支丹のモニカに思いを寄せたことがあり、信者たちに好意を持っていた。彼はためらいつつも、青銅のピエタを作る。それは神々しいまでに見事な出来栄えだったので、役人たちは「裕佐も切支丹であろう」と考え、彼を殺してしまった。
『夢を食うもの』(小泉八雲『骨董』) 昔、日本の家には獏の絵をかけておく習慣があった。獏の絵は本物の獏と同じように、悪鬼を追い払う力がある。
*→〔猫と鼠〕2の『狗張子』(釈了意)巻7-5「鼠の妖怪、附・物その天を畏るること」。
★9.ある時には名画と見えたものが、別の時に見ると印象が異なる。ある人が名画と見るものを、他の人は無価値なものと見る。
『秋山図』(芥川龍之介) 明末清初の画家・煙客翁は、かつて1度だけ、黄公望の名画「秋山図」を見て、その神品であることに驚嘆した。50年後、煙客翁は貴族の邸宅で再び「秋山図」を見る機会を得た。しかしそれはどう見ても別の絵としか思われず、煙客翁は落胆した。50年前の「秋山図」は幻だったのか、万事は夢だったのか、と煙客翁は自問した。
『知られざる傑作』(バルザック) 天才老画家フレンホーフェルは、美しい娼婦の画像の制作に10年間心血をそそぐ。彼はその絵に愛着し、誰にも見せない。しかし、狂った彼の眼にすばらしい絵姿と見えるものは、他の人間から見れば、カンヴァスの上に幾重にも塗られた混沌たる絵具の層にすぎなかった。
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