せきゆかがく‐こうぎょう〔セキユクワガクコウゲフ〕【石油化学工業】
石油化学
石油化学工業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 03:07 UTC 版)
1941年、太平洋戦争の勃発に伴う軍需に対応すべく後勁に石油精製工場を設置し、岡山の航空隊及び左営海軍本部への燃料供給を開始した。1944年には第六海軍燃料廠が設置され、現在の高雄煉油廠の前身となっている。 戦後、国民政府は高雄地区の建設事業の一つとして1946年に中国石油股份有限公司を楠梓後勁地区に建設、石油化学工業の発展による台湾経済成長を企画した。1968年4月10日、中国石油は最初の精製プラントを建設、同年10月には高雄港拡張計画に伴い大林埔外洋にパイプラインを設置し、大型タンカーによる原油供給を可能とした。 1970年代より台湾政府は十大建設計画を推進、中国石油は林園に林園廠を増設し、石油化学工業に必要な原料供給の増産に着手した。1975年末には林園、仁大(仁武、大社)石油化学工業区が完成すると、石油化学工業は高雄地区の重要な産業に位置づけられるようになった。その規模はアジアでは日本に次ぐ規模となり、またプラスチックやゴム工業など関連する工業分野の発展も見られた。1981年時、台湾の石油化学工業と関連工業の台湾輸出額に占める割合は16.4%となり、生産額は工業生産額の12%を占めた
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