石油化学重視の思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 23:05 UTC 版)
九鬼喜久男は、四日市市長として昭和40年代に四日市の大規模開発で団地造成ブームを推進した政治家であり、四日市の既存地場産業である漁業や紡績(東洋紡(東洋紡績富田工場・東洋紡績三重工場・東洋紡績塩浜工場・東洋紡績楠工場)・トーア紡コーポレーション(東亜紡織楠工場)・平田紡績・三幸毛糸紡績)と漁網を作る製網(平田紡績・網勘製網)など繊維産業を中心とする軽工業を軽視する思想の持ち主であった。 一方、新しい産業の石油化学産業を重視する重工業化政策を推進した。四日市公害の発生地区である塩浜の地元漁港の磯津地区の漁師には「第1次産業は必要ない。漁業を営むのを辞めるべきで、漁業は時代遅れである」と発言した逸話がある。また、例え話として「味噌屋から味噌の匂いがして当たり前で四日市コンビナートから石油化学の匂いがして当たり前」「四日市は石油化学関連の企業の城下町。それが嫌なら出ていけ」と発言したとされている。
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