石油危機による値上げ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 00:23 UTC 版)
「中部電力ミライズ」の記事における「石油危機による値上げ」の解説
1973年(昭和48年)10月に勃発した第四次中東戦争を契機に、産油国が原油の禁輸・生産調整・値上げに踏み切った。原油価格は暴騰し、1974年(昭和49年)春には1年前の4倍になった。第一次石油危機である。 原油価格の高騰は、石油火力発電に依存してきた中部電力の経営を直撃し、1973年(昭和48年)度下期は、会社創立以来初の純損失を記録した。中部電力は、1965年(昭和40年)4月以来据え置いていた電気料金の改定に走り、1974年(昭和49年)6月に平均71.8%(電灯29.6%、電力92.2%)、1976年(昭和51年)8月に平均22.5%(電灯20.7%、電力23.1%)、電気料金を引き上げた。 その後、イラン革命につながるイランの政情悪化を契機に、第二次石油危機が発生し、原油価格は1バレル当たり30ドルを突破した。1980年(昭和55年)3月時点では、中部電力は、平均販売単価が14.27円/kWhの電気を供給するために燃料費だけで16.24円/kWh費やす有様であった。同社の1980年(昭和55年)度の経営計画大綱によれば、「創立以来最大ともいうべき危機」であった。1980年(昭和55年)4月、平均49.7%(電灯41.8%、電力51.6%)の値上げを実施した。
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