石油危機の与えた影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 14:41 UTC 版)
「オイルショック」の記事における「石油危機の与えた影響」の解説
先進国の経済が中東の石油に極端に依存していることが明白となった。そのため北海油田などが積極的に開発運営された。また、原子力や風力、太陽光など非石油エネルギーの活用の模索、また省エネルギー技術の研究開発への促進の契機ともなった。石油の備蓄体制を強化することも行われた。また、モータリゼーションの進展により自動車の燃料消費が石油消費に高比率を占めていたことから、鉄道を始めとする公共交通機関を再評価する動き(モーダルシフト)が出た。 大和総研は「2度にわたるオイルショックは、日本経済に大きな影響を与えたが、日本企業がエネルギー効率を改善させる大きなきっかけとなった」と指摘している。合理化は資本の自由化に並行した。 フランス大統領ジスカールデスタンの発案により、1975年に第1次石油危機以降の経済の回復を主たる議題として、先進国の首脳が一堂に会する主要国首脳会議(サミット)の第1回がフランスのランブイエ城で開催された。 インフレーション傾向を強めていた先進国経済は、石油危機によりスタグフレーションに突入。1971年のニクソン・ショックと合わさり、戦後世界経済の成長体制は破壊された。工業化による投資で、対外債務を膨張させていた南アメリカやアフリカなどの開発途上国は、石油輸入コストの急上昇によりユーロ債(シンジケートローンの変動利付き債)への借換を余儀なくされた。 石油輸出国はオイルマネーを得て、国内福祉を充実させたり、強力なソブリン・ウエルス・ファンドを設立したりした。オイルマネーの出所はOTD金融が信用創造した預金通貨であり、このユーロダラーが輸入国発行のユーロ債となっていた。 OTD金融はシャドー・バンキング・システムが能動的に行ったものであった。しかしベン・バーナンキは、石油価格の高騰が財・サービスのコストを引き上げ、インフレを悪化させるのは事実であるが、それよりもアメリカ合衆国でインフレが深刻になったのは、家計・企業が連邦準備銀行の金融引き締めが十分ではないことを予想し、それが高いインフレ予想を招いたことであるとしている。バーナンキはその結果、賃金の引き上げ・製品価格の値上げが起きたとしている。この見解に沿ったレーガノミクスの高金利政策でシンジケートローンの償還が至難となり、債務危機に陥ったメキシコは機関化された。 ユーロ債発行額(シンジケートローンにつき変動利付き債。単位億ドル)1973年1974年1975年1976年1977年1978年1979年1980年1981年OECD加盟国123.6 182.9 62.2 99.0 130.4 304.1 290.7 411.6 973.7 非加盟産油国21.0 6.9 24.7 24.7 46.2 86.9 87.7 68.4 57.4 非加盟途上国52.7 75.2 87.8 119.0 132.7 231.8 360.0 281.6 409.3 東ヨーロッパ5.9 8.3 19.5 17.3 14.1 28.7 37.2 26.7 15.1 南アや国際機関等5.4 12.0 11.7 19.2 14.4 8.6 15.2 10.9 3.7 合計208.6 285.4 205.8 279.2 337.8 660.0 790.8 799.2 1459.1 伝統的外債を除く、長期・固定金利の国際債発行額(億ドル)1973年1974年1975年1976年1977年1978年1979年1980年1981年OECD加盟国31.5 22.5 82.7 111.0 141.9 98.6 133.5 169.6 217.0 非加盟産油国1.0 - 0.5 1.5 3.7 11.6 3.3 1.3 0.7 非加盟途上国3.7 0.9 1.8 9.3 21.6 18.8 15.5 10.2 21.5 東ヨーロッパ- 0.4 2.0 0.7 2.5 0.3 0.3 0.5 - 南アや国際機関等10.8 21.8 18.1 31.2 25.1 30.1 21.0 18.8 25.7 合計47.0 45.1 105.2 153.7 194.8 159.4 173.5 200.5 264.9
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