石油危機による方針変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 05:15 UTC 版)
「ボーイング767」の記事における「石油危機による方針変更」の解説
ところが、1973年に石油輸出国機構(OPEC)やアラブ石油輸出国機構(OAPEC)が原油生産の段階的削減や石油禁輸などを相次いで決定したため、全世界的な石油危機が引き起こされた。石油危機は航空業界において燃料価格が2倍から3倍にもおよぶ高騰を招いただけでなく、社会的にもインフレーションと不況を招くことになったため、航空会社の経営は悪化することとなり、とても新型機の導入どころではなくなり、ボーイングの「7X7」計画の進展にも影響を与えた。 こうした社会環境においては、航空機製造会社による新型機のデザインは、速度や快適性よりも省エネルギー性が優先されることになり、ボーイングも例外ではなかった。「7X7」構想自体も変化せざるをえなくなり、巡航速度はマッハ0.83からマッハ0.78程度に抑えられ、主翼の後退角やアスペクト比も燃費や空気抵抗の減少を最優先する構造に変化した。主翼の上面にエンジンを配置するというデザインも、1974年1月までにはすべて主翼下面に吊り下げる構造に変更された。その理由は、燃料消費を減らすために有利であるからというものであった。 ボーイングの経営状態も不振に陥ったため、ボーイングでは新型旅客機の開発には、日本が共同開発に加わることを強く期待していた。当時のボーイング社長に至っては、事業比率を50:50とし、航空機の名称でも「ボーイング/ジャパン」とすることを提案していたほどであった。しかし、日本が意思決定に手間取っている間の1974年6月頃になると、航空会社は石油危機から立ち直る気配を見せ、これに追随するかのように、ボーイングの経営状態も改善することになった。このため、ボーイング側の態度も次第に強気なものとなり、ついにはボーイング側から「これまで航空機開発で蓄積した貴重なノウハウを提供する以上、日本側からは相応の利益を提供すべき」という要求まで出る状態になった。結果的に、新型旅客機の開発では、日本は15パーセントの事業分担となり、「事実上ボーイングの下請けである」という意見も出る状態になったのである。
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