映画・テレビ・広告 他とは? わかりやすく解説

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映画・テレビ・広告 他

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 00:39 UTC 版)

西城秀樹」の記事における「映画・テレビ・広告 他」の解説

夜のヒットスタジオ フジテレビ系夜のヒットスタジオ』への初出演1972年12月4日(第214回)。3枚目のシングルチャンスは一度』での出演であった1974年以降準レギュラー格としてほぼ1月1、2回のハイペース出演重ね五木ひろし森進一次いで歴代3位190回にわたり同番組登場。「ミスター夜ヒット」の代表格一人として様々なエピソード見せ場提供した1984年11月19日放送では、ワム!の「Careless Whisper」のカバーで、「抱きしめてジルバ」と競作となった郷ひろみの「ケアレス・ウィスパー」と対決した西城より1か月遅れでリリースした郷の発売時(11月10日発売)の宣伝企画乗せられる形で、フジテレビ番組スタッフに「同一曲のカバーでの対決」を持ちかけられた際、西城は「全く同じセット、同じ演出唄う」という条件了承しこの前未聞ともいえる企画実現した。ただし、歌う順番西城先行歌唱時間は郷が長めに設定された。 バーモントカレーのCM 1973年から12年間、ハウス食品の「バーモントカレー」の広告出演し"ヒデキ感激!!"、"ヒデキご機嫌!!"、"ヒデキ、満足!!"など数々キャッチコピーお茶の間人気呼び大人から子供まで幅広い世代支持を得るハウス西城独占契約し西城13年間、ほかの広告には一切出演せずバーモントカレーの顔であり続けた材料リンゴ蜂蜜使っているという商品の特徴は、西城の歌う広告曲通じて広く浸透し、同製品知名度一気高めカレーライス国民食押し上げ貢献した。「ヒデキ感激!!」の右手で頬を2回たたくアクションは、撮影見学訪れていた小さな子どもが西城見て喜んだ時の仕草取り入れ西城自ら考案したもの。季節に応じて3か月周期広告撮影が行われ、その中で西城発するフレーズもさまざまだったが、特に"ヒデキ感激!!"という初期の頃フレーズは、いまだにマスメディア西城記事掲載される際によく見出しとして登場する2001年結婚した際には、夫人とのツーショット写真と「超甘口」「Happy Wedding」の文字配した特製パッケージバーモントカレー甘口披露宴引き出物として配られ2015年行われた還暦記念ライブでは、「ヒデキ、カンレキィ〜!」の文字配した還暦お祝いパッケージバーモントカレー来場者記念品として配られた。なお、西城本人甘めカレーがあまり好きではなく収録テイクの度に何度も食べるのがつらかった、と後に語っている。1986年バーモントカレー「卒業」し、辛さ前面押し出したジャワカレー」のテレビ広告起用されたことを喜んでいた。 2018年西城逝去した際には、ハウス食品グループ本社から「(西城出演の)バーモントカレー広告で、カレー国民食となり愛されることとなった」など感謝込めた追悼メッセージが発せられた。また、西城通夜では参列者に会葬御礼としてバーモントカレー用意され関係者によって配られた。 寺内貫太郎一家 西城お茶の間人気高めたのは、バーモントカレー広告見せ庶民的人懐っこいキャラクター加え昭和代表する国民的ホームドラマともいわれた『寺内貫太郎一家』(1974年TBS)への俳優としての出演大きかった久世光彦プロデューサーは、西城抜擢経緯について「秀樹テレビステージでみせる、あの炎のような激しアクション力感エネルギー。だがその影には、きっと涙があるに違いないバンカラではなく少年のようにセンサイで、悲しいものを持っている。それが本当の"男"の魅力です。今度ドラマ追求したいのは「日本人男らしさ」―それを表現する素材として秀樹以外に考えられなかったからです。秀樹将来役者として大物素材であることは間違いない日本アラン・ドロン沢田研二だが、ぼくは秀樹には日本ジェームズ・ディーンになってもらいたいんです。ドラマ秀樹の弟と姉の将来タテの線に、人間の傷つけあい、かばいあいヨコの線に進めていきます」などと話した当時人気タレントドラマ収録充てる日にちせいぜい一週間2日だったが、西城一週間4日空けて久世からのラブコール応えた毎週お約束のように登場するのが貫太郎こと小林亜星長男周平役の西城との親子げんかで、西城小林投げ飛ばされ腕を骨折し入院したエピソードはよく知られる当時振り返って西城は「やってる方は愛情クソもない。亜星さんを本気で張り倒すつもりでやっていた」と話している。小林も「ボクヒデキも本気だった。リアルな芝居求め久世光彦さんが収録現場でどんどんNGを出す。ボクヒデキお互いに『このヤロー!』となり最後に本気になって喧嘩してしまう」「当時ヒデキスーパーアイドルスケジュール真っ黒で、本来なら長時間拘束されるドラマ出演している余裕などなかったはずだ。それでもヒデキ文句ひとつ言わず熱心にリハーサルを行う。出演者収録後しょっちゅう飲み行ったが、多忙極めていたヒデキ自分出番が終わると次の現場急行だ。時にはワガママを言うのが普通のアイドルだろうけど、ヒデキのそんな姿は見たとがない。今、あんなことが収録現場で起こった大事件みなされ、すぐに番組打ち切られるだろう。当時だって事情そんなに変わらなかったと思う。打ち切りにならなかった最大理由は、ヒデキが騒がなかったことにある」などと話し番組継続俳優仕事にも理解示していた西城お陰であると述べている。 オールスター運動会・水泳大会 中学3年の時、広島県中学水泳大会優勝したこともあり、1970年代から1980年代頻繁に民放テレビ放映された「オールスター運動会・水泳大会」では、スポーツ万能活かして競泳走高跳などで活躍した走高跳では芸能人記録樹立)。フジテレビの「紅白スター対抗水泳大会」が番組最高視聴率28.9%を獲ったのは1978年2月7日放送回であったが、このときも白組キャプテン務めた紅組キャプテン郷ひろみ)。プールサイドで「キャーキャーといっていた女性陣心から西城応援していたといわれる。 郷との対決番組ハイライトだったが、西城水泳大会では、花形自由形ではなく平泳ぎ出場自由形での泳ぎ最後リレーでしか見ることができなかった。また西城の幅の狭いブーメランパンツから覗く剛毛は「ギャランドゥ」と呼ばれた岩井志麻子は「ヒデキ出現自身の性のめざめの時期重なった。「ギャランドゥ」は、いつしか胸毛から下まで体毛つながっている男性を指す隠語となって定着した曲名一般俗語となって広く知られた――。すごい」などと述べている。陸上をやっていたつんく♂は、芸能人運動会西城秀樹第3コーナーで抜くことが子どもの頃の夢で、中学二年で走り高跳びで165cmくらい跳んでたとき、西城レコード会社対抗運動会で、走り高跳びで150cm跳んで優勝したのをテレビで観て「この運動会出たら、オレ1位になれる」と思ったことが将来目標芸能人決めた切っ掛けと言うザ・ベストテン 『ザ・ベストテン』では第1回から常連として出演し斬新な衣装振付け番組盛り上げ、「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」が、番組史一例満点9999点)を2週連続獲得するなど番組の立ち上げ隆盛貢献したオリコンとともに歌謡界デッドヒート化させた当番に於いては毎回真剣勝負挑んだ。「僕らは人よりいかに目立つかを考えていた。先物はだいたい僕か沢田研二さんがやっていた」などと話し、「後の世代の人たちは違うかもしれないけど僕らはそう」「人が歌ってるときはステージをじっと見ていてお喋りどころじゃなかった。"あの衣装生地はいいな"とマネージャー言ったりして、カメラ振られる談笑しているポーズ取った」などと話している。笑い話としては、1982年5月13日放送回で、黒柳徹子から「最近どんなジャンルの本を読まれていますか?」と聞かれて、「SM好きです」と答えたことがある黒柳が(当時文献では久米宏すかさずSFのことね」って必死にフォローし出演者大爆笑だったが、イモ欽トリオ長江健次だけは意味が分からず戸惑っていたといわれる放送を生で観ていた坂本ちゃん生々しくドキドキんちょで、それ以来ヒデキの"ギャランドゥ"に心を奪われたと話している。 西城とちびまる子ちゃん さくらももこ漫画ちびまる子ちゃん』では、主人公まる子の姉さきこが大の西城ファンという設定があり、漫画アニメ問わずしばしば西城因んだ話が登場している。また、作者のさくら自身西城ファンであった事から、さくら側が西城依頼する形で、同作テレビアニメ第1期後半エンディングテーマ走れ正直者」の歌唱担当したその後2007年から2008年放送され同作テレビドラマ版まるまるちびまる子ちゃん』では、第20回2時間スペシャル西城魚屋主人辰の辰」役で出演劇中ではまる子為に、辰が西城モノマネで「傷だらけのローラ」を歌うという設定で『西城秀樹ドラマの中で演じたキャラクター西城秀樹モノマネをする』という難しシチュエーション熱演した。西城訃報報じられた際には、さくらはブログ追悼コメント記した が、その僅か3ヶ月後に、さくら自身乳がんの為この世去ったがきデカ/マカロニほうれん荘 漫画/アニメ西城といえば取り分けちびまる子ちゃん』が有名であるが、1970年後半に『週刊少年チャンピオン』に連載され一世を風靡した山上たつひこ漫画がきデカ』の主人公こまわり君のほぼ相方格だった西城ヨシオこと「西城くん」のモデル西城である。ほぼ常識人の「西城くん」がこまわり君ボケツッコミ入れ担当であった。『がきデカ』は他に常識扱いで、それぞれ名前をもじった山口百恵モデルの木の内モモ子こと「モモちゃん」、あべ静江モデルあべ美智子こと「あべ先生」と、天然少女風吹ジュンモデルの木の内ジュンこと「ジュンちゃん」が登場する西城くんのガールフレンドは「モモちゃんであった。また同じ『少年チャンピオン』の連載鴨川つばめ『マカロニほうれん荘』で最も有名なギャグで、主人公一人・膝方歳三の決めゼリフトシちゃんかんげきーっ!!」は、西城の「ヒデキ感激!!」をもじったものであった後進タレントの発掘 芸映在籍中看板スターとして活動すると共にデビュー間もない1972年夏、事務所関係者と共に浅田美代子街頭でスカウト無名新人アイドルだった相本久美子芸映への移籍推薦したほか、自らの名前を冠した新人コンテストHIDEKI弟・妹募集オーディション」からは河合奈保子石川秀美デビューした河合石川オーディションの1位ではなく、他の人が選ばれそうなところを西城の強い推し逆転1位になった。また西城コンサートで、熱狂余り突然ステージ上に乱入したファン岸本加世子を「自分事務所入らないか。」とスカウトした。

※この「映画・テレビ・広告 他」の解説は、「西城秀樹」の解説の一部です。
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