戦況と日本の講和条件案とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 戦況と日本の講和条件案の意味・解説 

戦況と日本の講和条件案

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:55 UTC 版)

下関条約」の記事における「戦況と日本の講和条件案」の解説

1894年明治27年9月黄海海戦平壌陥落によって、朝鮮半島軍事的に確保するという日本側の第一期作戦勝利のうちに終了し第二期作戦直隷平野すなわち華北平原での決戦めざして10月以降山県有朋率い帝国陸軍第一軍鴨緑江渡河作戦大山巌率い第二軍遼東半島攻略作戦へと乗り出した。なお、当初計画では直隷決戦際し広島大本営前線へ移動させ、天皇大本営とともに清国に渡るという構想立てられていたが、天皇による親征現実的でないことから大本営作戦部門だけを「征清大総督府」として派遣することに変更された。 一方清国では摂政体制を布いていた西太后講和傾斜しつつあり、また、西太后の夫咸豊帝の弟で10年来政治から離れていた恭親王奕訢総署大臣返り咲いて戦争終結のため、諸外国調停打診すべく行動始めた10月8日清国との通商重んじるイギリスは、戦火清国全土拡大するのを怖れて、駐日公使パワー・ヘンリー・ル・プア・トレンチ通じて日本政府仲裁提起した。それは、「日本国政府各国ニテ朝鮮独立担保スルコト及軍費トシテ日本国償金ヲ払フコトヲ以テ媾和(こうわ)ノ条件トシテ承諾スヘキヤ」という講和打診であった。すなわち、朝鮮独立各国保証し賠償金の支払い清国求めるというもので、イギリスはこれをロシアとの共同勧告というかたちにすることによってロシア牽制することを企図していた。これは、日本政府講和条件検討する端緒となり、第2次伊藤内閣外務大臣陸奥宗光は、内閣総理大臣伊藤博文とも協議のうえ、取り急ぎ講和条件として甲・乙・丙の3案を起草した。それは、 甲案1. 清国をして朝鮮独立確認せしめ、かつ朝鮮内政干渉せざる永久担保として旅順口および大連湾日本に割与せしむる事 2. 清国をして軍費日本償還せしむる事 3. 清国はその欧州各国締結せる現行条約基礎とし、日本新条約を締結すべき事 以上の条件実行するまで清国日本政府向かい充分担保与うべき事 乙案1.強国にて朝鮮独立担保する事 2. 清国台湾全島日本に割与すべき事 その他の条款はまさに甲案に同じ 丙案日本政府いかなる条件により、戦争の息止を承諾すべきかを確言する前、先ず清国政府意向承知する要す というものであった。 3案のうち、甲・乙の両案は李氏朝鮮独立とともに賠償金領土割譲について言及しており、賠償金額は両案とも提示せず領土に関しては、甲案が陸軍意向受けて遼東半島旅順口および大連湾、乙案が海軍意向尊重して台湾割譲という条件であった報告受けた伊藤は甲案に賛成の意を表した。ただし、遼東半島にしても台湾にしても、まだ占領なされていない土地であり、在外公館通じて得た情報からは割譲要求についての諸外国の反応日本に対して決し好意的とはいえなかった。 戦勝国の側が敗戦国に対して過酷な条件提示することで、結果的に休戦実現させようとする方法は、この時期列強間にも少なからずみられ、陸奥宗光がこの戦争において参照した事例普仏戦争1870年-71年)のそれであった。普仏戦後1871年フランクフルト講和条約において、勝利側のプロイセンドイツ帝国)は敗北したフランスに対して敗戦条約課しアルザス(エルザス)・ロレーヌロートリンゲン)の2州割譲させ、50フラン賠償金獲得したのであるイギリス政府は、列国会議開いて連合仲裁のかたちでの調停試みたが、他の列強同意得られず、英国民もまた、この方針を支持しなかったので、この案は曖昧なままとなっていた。陸奥は、駐日各国公使との会合様子在外公館からの情報からうかがう限り列国共同勧告には至らない判断したので、条件案の詳細イギリスはじめ各国政府には伝えなかった。伊藤首相イギリス政府への回答引き延ばし望んだことから、10月23日陸奥外相トレンチ公使対し婉曲にではあるが仲裁断ったロシア帝国アメリカ合衆国また、日清戦争講和関心をもっており、11月上旬からは両国それぞれ調停のための斡旋開始した11月6日には、エドウィン・ダン駐日アメリカ公使より、「友誼仲裁」の申し入れなされた。しかし、清国との決戦戦争目的一つみなしていた日本政府は、この段階での講和成立無用判断したまた、陸奥個人としては、交渉当事者勝者と敗者である以上、仲裁役はむしろ不要であるとの考え立っていたが、ただし、国交断絶中の両国意志取り次ぐ役目を果たす第三国は必要であるとしており、その場合は、シナ大陸多く権益有するイギリスよりもアメリカの方が好ましいと判断していた。一方清国では11月12日、駐独清国公使ドイツ外相講和仲裁申し込んだという情報青木周蔵駐独公使より日本政府もたらされた。 11月21日日本陸軍第二軍旅順口の戦い清国軍を破ったとはいえ清国東アジア大国であり、旅順口大連湾激し攻防なされているとき、北京では歌舞音曲のなか、西太后還暦を祝う祝宴盛大に催されていた。旅順陥落によって、陸奥はそろそろ講和向けた準備が必要であるとの考え至った11月22日北京駐在アメリカ公使チャールズ・ハーヴェイ・デンビー(英語版)は、清国政府日本政府対し朝鮮独立承認賠償金弁済をもって講和交渉を開くことを申し出た旨、東京駐在ダン駐日アメリカ公使電報伝えた一方当時李鴻章懐刀といわれた清朝お抱えドイツ人天津税務司のグスタフ・デットリング(英語版)が内命を受け、講和瀬踏み日本側の意向を探るために11月26日神戸訪れ兵庫県知事周布公平面会し伊藤首相との会談求めてきた。彼は、首相あて親書持参したが、日本側は正式な使節とは認めがたいとして彼との公式な接触避けたまた、デンビー駐清公使は、これについて、総署大臣恭親王奕訢対し、機が熟せばアメリカ調停に入ることになっているはずなのに、デットリングなるドイツ人不審動きをしており、アメリカとしては不快であるとの苦情申し入れている。デットリングは李鴻章からの天津発の電報帰国し親書大本営のある広島市郵送した。ただし、デットリングの得た日本での感触から、日本側が清国側考えていた以上に強気姿勢交渉臨み講和条件厳しいものとなるであろうことを李鴻章予想したのである。なお、一方陸奥外相李鴻章のデットリング派遣について、「すこぶる児戯類した」と酷評している。 12月4日伊藤博文首相は、「威海衛を衝き台湾を略すべき方略」という意見書広島大本営提出した。それによればこのまま直隷決戦に向け、シナ本土進軍するのは必ずしも得策ではなく、下手をすれば清朝瓦解というおそれもあって、そうなればかえって諸列強戦争介入強まり日本一転して外交的に不利な立場に立たされる可能性がある、というものであったそれゆえ第一軍第二軍いずれか一方渤海渡って威海衛(現、山東省威海市)の制圧へ、そして、もう一方台湾占領作戦へと転進すべきであり、特に台湾実際に占領状態をつくらなければ台湾譲渡について世論訴えることも、和平条約要件として盛り込むこともできない論じて当初立てた第二期作戦変更提案したのである1895年明治28年1月に入ると日本国内では講和条約案が話し合われるようになった前年末に、アメリカ合衆国を介して清国から講和使節派遣申し入れあったからである。日本軍連戦連勝のさなかでの講和であることから、「対外硬」と呼ばれた人士もとより政府部内にあって取れるだけのものはできるだけ取っておきたいという雰囲気濃厚で、外務大臣陸奥宗光をおおいに悩ませた。 1895年1月27日広島大本営において日清講和に関する御前会議開かれた席上陸奥外相から、 朝鮮独立の承認 領地割譲償金支払い 欧米並み特権の提供 を骨子とする方針示され参加者各位より諒承された。帝国海軍資源確保南進拠点として台湾全島および澎湖諸島割譲望んだ。それに対し陸軍はこの戦争で最も多くの血を流した激戦地である遼東半島割譲求めた財政担当する大蔵省は、戦後経営のことを考慮して巨額補償金要望しており、松方正義いたっては、のちに10億両(テール)という驚異的な賠償額を提示した。なお、テールとは清国税関の庫平銀単位であり、当時10億両は日本円換算すると約15億円に相当した。 駐露公使であった西徳次郎男爵は、ロシア刺激することになる領土要求よりもむしろ償金優先すべきという考えであり、領土割譲多額償金担保という名目行った方がロシアなどからの干渉極力排除できると説き、それに対し駐英公使青木周蔵は、盛京省および吉林直隷両省の一部割譲させて将来的日本の軍事根拠地をそこに建設し償金英貨1億ポンドとすべきことを主張したまた、当時外務省アメリカ人顧問ヘンリー・デニソン示した賠償金は、甲案が3億円、乙案が5億円であった立憲改進党一部在野対外硬派は、和議交渉をしている間も戦闘続行することを要望しそのうえで相手停戦応じたら、台湾割譲償金3億円以上のほか、山東省江蘇省福建省広東省日本領有清国認めさせるべきであるという強硬論表明した対外硬とは一線を画しているはずの自由党でさえ、東三省すなわち黒竜江省吉林省盛京省および台湾割譲主張している。伊藤博文陸奥宗光山県有朋政府首脳はいずれも、このような過大な日本要求は、事と次第によっては第三国干渉を招くことがありうる予想しており、それを念頭に置きつつ交渉に臨まなけれならない判断していた。

※この「戦況と日本の講和条件案」の解説は、「下関条約」の解説の一部です。
「戦況と日本の講和条件案」を含む「下関条約」の記事については、「下関条約」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「戦況と日本の講和条件案」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「戦況と日本の講和条件案」の関連用語

戦況と日本の講和条件案のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



戦況と日本の講和条件案のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの下関条約 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS