戦況の悪化と崩御
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 16:33 UTC 版)
しかし戦局は次第に不利となり、同盟国側の敗勢によってオスマン帝国も連合国に追い詰められていく。戦況不利のなかでも、メフメト5世には具体的な行動に出られるだけの政治力はなかった。 1918年7月3日、メフメト5世はこうした情勢の中73歳で崩御し、弟のメフメト6世が跡を継いだ。 2010年5月28日、メフメト5世の孫であるハサン・オルハン皇子がエジプトのカイロで癌により死去した。オルハン皇子はカイロで教職に就いていた。遺言で父親が埋葬されているイスタンブールのエユプ・スルタンに埋葬されることを望んでいたが、外交上の問題で叶わず、カイロに埋葬された。
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