外交上の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 23:34 UTC 版)
11月12日、ヒトラーは総統指令(英語版)18号を発行し、そこで「スペインを即座に戦争に参入させるための政策が着手された」と述べ、「ドイツのイベリア半島への介入(作戦名フェーリックス)の目的はイギリスを西地中海から駆逐することにある」とした。さらにはもしイギリスが上陸拠点を設けたり、マデイラ諸島とアゾレス諸島の占領を要求した時のポルトガルへの侵攻の可能性についても記されていた。 1940年12月5日、ヒトラーはドイツ国防軍最高司令部に会い、フランコに対しドイツ軍隊が1941年1月10日にスペイン国境を通過する許可を要求することを決めた。カナリスがフランコの同意を得られたらすぐに、ジブラルタルへの攻撃の準備をするためにヨードル大将がスペインに行く事が計画された。カナリスはそれゆえに12月7日にフランコに会い、スペインの即座の参戦の必要性を説いた。フランコは、スペインは食糧不足や機能不全のインフラ設備や最近の内戦からいまだ回復途中の国の状態といった理由で、ドイツ軍を支援する能力がないと返答した。彼はまた、ドイツによるジブラルタルの攻略がイギリスの報復を招き、カナリア諸島やスペインの他の海外領土の損失に繋がるのを恐れていると表明した。 カナリスの報告を受けて、ヒトラーは作戦を中止すべきだと決めた。彼の落胆はのちにムッソリーニへの手紙の中で彼が記した、「私はフランコがここにおいて彼の人生最大の過ちを犯したと恐れている」と言った文に反映されている。 1941年の初週、ドイツとイタリアの双方の大使によって、スペイン政府が今の姿勢を変えるように促す意味のない努力がなされた。フランコはヒトラーから2月6日に受けた参戦する主旨のさらなる要求に対し、厳しい内戦のために不安定なスペインの経済、軍隊の状況を理由に否定的に答えた。ドイツの外務大臣のヨアヒム・フォン・リッベントロップは彼の意見の中でヒトラーに「フランコは戦争に参加する意思が全くない」と言った。 1941年2月、OKWは海軍総司令部(ドイツ語版)に、フェリクス作戦は現在のところ構想外であり、作戦に割り当てられた部隊はすぐにどこかよそで必要とされるだろうと意見した。
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