戦況推移とは? わかりやすく解説

戦況推移

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 21:50 UTC 版)

第二次ドネツク空港の戦い」の記事における「戦況推移」の解説

2014年9月5日ミンスク議定書調印されたが、ドネツク国際空港ではドネツク人民共和国軍とウクライナ軍の間で散発的な小競り合い続き9月23日には空港近く機関銃と砲迫の射撃報告された。9月25日取材受けたドネツク人民共和国軍の匿名情報将校によれば、「彼らが攻撃したとき、我々は彼らに自分たちの位置示した。彼らは十分に武装しT-64戦車と多連装ロケット発射機保有していた。我々はそれらに対抗する手段持っていなかった。」 彼がさらに語ったところによると、ドネツク国際空港ドネツク人民共和国にとって「ひどい頭痛の種であった空港分離主義勢力支配するドネツク市中心部北側位置しウクライナ軍にとって「好都合有利な地点」で、砲迫火力によってドネツク人民共和国軍の陣地を狙うことが出来た両者による「報復」の応酬9月25日以降にさらに深刻となった

※この「戦況推移」の解説は、「第二次ドネツク空港の戦い」の解説の一部です。
「戦況推移」を含む「第二次ドネツク空港の戦い」の記事については、「第二次ドネツク空港の戦い」の概要を参照ください。


戦況推移

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 08:22 UTC 版)

中越戦争」の記事における「戦況推移」の解説

1979年1月1日以降中国56万人兵隊ベトナム国境に集結し威圧開始2月15日中国共産党最高機関中央委員会副主席鄧小平は「同盟国カンボジアへの侵攻同国内の中国華人追放ベトナム側はこれを否定)」を理由とし、「ベトナム対す懲罰的軍事行動」を正式発表し宣戦布告する。 次いで2月17日中越国境地帯全域から1500門の重砲による砲撃の後、ラオカイカオバンランソン各市占拠第一目標として、10個軍30からなる軍勢をもって西部北部東北部三方面からベトナム国境を侵犯した中国ではこの戦争80年代国境紛争とを併せて「対越自衛反撃戦」と呼びソ連ベトナム連合侵攻恐れて行動主張している。 この時期ベトナム主力カンボジアにあり、とくに西部には第316と、第345歩兵師団中心とした正規軍2個師団ほど(約2万人)と民兵かいなかったが、西部限らずこの民兵ベトナム戦争において米軍に勝ちベトナム統一した主力退役兵を再集した部隊であったために、実戦経験が豊富、さらにベトナム戦争時の大量ソ連製中国製長距離砲を含む各種武器弾薬保有。さらに旧南ベトナム政府軍ラオス内戦当時右派ミャオ族から接収したアメリカ製兵器M16A1アサルトライフルM101 105mm榴弾砲M114 155mm榴弾砲M113装甲兵員輸送車M41ウォーカー・ブルドッグ、M48パットンUH-1 イロコイ汎用ヘリF-5 フリーダムファイター軽戦闘機A-37 ドラゴンフライ軽攻撃機A-1 スカイレイダー攻撃機など)の大半使用可能であり、正規軍匹敵する精鋭揃っていた。 中国人民解放軍国産62式軽戦車T-54中戦車ライセンス生産型である59式中戦車主力ベトナム各地侵攻したが、ソ連から供与されRPG-7対戦車擲弾筒や9M14対戦車ミサイルといったベトナム軍の兵器により多数撃破され、またベトナム国付近地雷原のため、人海戦術用いてさえ歩兵進めるのは困難だった。 そのため中国軍軽戦車から69式戦車といったMBT(主力戦車)まで投入地域によっては山越えをしてベトナム側面に回りこむ策に出、さらにゲリラ戦遭うのを防ぐため徹底的に山やジャングル70式130mm30連装自走ロケット砲火炎放射器攻撃した文化大革命悪影響兵站等の準備不足加え初期の戦闘中国軍損害大きくした原因一つベトナム軍の長距離砲例え第3歩兵師団ではM-30かD-30思われるソ連製122mm長距離榴弾砲使用していたことが確認されている)があり、加えてベトナム軍の砲兵陣地強固で、それを潰さない限りベトナム防衛線を突破できないため、中国軍対砲兵レーダーをも使用した対すベトナム軍は、兵力において圧倒的に勝る中国軍背後機動を防ぐため、複数陣地構築、敵に損害与えつつ後退する縦深陣地戦多用した中国軍その後主力を欠くベトナム軍の後退合わせ進軍2月25日カオバン2月26日ラオカイを、3月5日にはベトナム北東部要所ランソン占領ベトナム北部五つの省を制圧したが、野戦軍はその過程大きな被害受けていた。 一方ベトナム軍は包囲されることなくランソンから後退し南方に約100km離れたハノイ郊外構築され巨大陣地入ったハノイ市民も陣地構築手伝い、軍とともに小銃対戦車火器抱いて陣地入り決戦構えをみせた。 ランソン中国軍占領したその日の夜、ついにカンボジア方面に展開中だったベトナム主力合流しハノイ郊外巨大陣地には5個師団入ったベトナム主力軍事衝突すれば、野戦軍さらなる被害増大占領地維持危うくなることから、直ち中国共産党中央軍事委員会撤退決定翌日3月6日の「ベトナムへ軍事的懲罰完了宣言とともに中国軍対し撤退命じた撤退始めた中国軍対しベトナム主力追撃開始するも、中国軍占領していた省から撤退するにあたり設備家畜などを略奪し住宅インフラ徹底破壊する非人道的焦土作戦行い3月16日までにベトナム領から撤退した中越双方勝利宣言し戦争終結した中国軍ベトナム北部制圧しながら、突然撤退した背景には、ベトナム軍の激し抵抗や、自軍指揮命令系統問題抱えていたこと、ソ連介入する可能性への懸念があったとされる一方で中国軍にとっては、人海戦術による多大な人的損失覚悟しながらも、実情は彼らの想像はるかに超える損害であったではないか思われるものの、中国側からすれば領土紛争めぐって自身受けた侵入攻撃制裁行い当初戦争目的果たしたと言いうる状態を達成したとなっている。 当時ベトナム軍は、ベトナム戦争での実戦経験加えソ連からの支援を受け、高い水準開戦直後より維持していた。 中国では中ソ対立以前ソ連製兵器をもとに装備自主開発をおこなってきた。例えば、当時中国軍最新型戦闘機は 殲撃七型であったが、ベトナム軍ではMiG-21完成型MiG-21bisやMiG-21MFが運用されていた。 中国軍主力機は殲滅7型、レーダー塔載殲撃六型レーダー搭載せず武装搭載量貧弱な殲撃五型で、爆撃機は轟炸五型や轟炸六型であった地上では、中国軍T-54デッドコピー59式戦車や、それをスケールダウンした62式軽戦車多くベトナム陸軍関係悪化以前供与されていた59式戦車と、そのオリジナルT-54T-55主力で、旧式T-34-85さえも使用されていた。 戦争取材した欧米記者達は、中国軍ベトナム軍の縦深防御陣地自殺的な突撃行い大量死者出していると発信したまた、当時人民解放軍プロレタリア文化大革命影響階級廃止しており、複数部隊合流した共同して戦闘を行う際、それぞれの指揮官序列曖昧になり、混乱きたしたまた、指揮官戦死、あるいは戦傷指揮不能になった時に、代わって指揮をとる次級者の序列存在せず指揮命令系統崩壊する例が多かったと言われる。 この戦争の後中国において軍の近代化最優先国家目標とされることとなる。 中国短期間ベトナム制圧できると考えていたにもかかわらず自国指揮系統内部崩壊することを全く想定していなかった。 この戦争犠牲者に関しては、中国人民解放軍昆明軍区報告書「対越自衛反撃総結」では2月17日27日までにベトナム1万5000人を殲滅し、2月28日から3月16日までに37000人を殲滅したと主張自軍戦死者は6954人戦傷者1万4800人ほどだと報告している。 一方ベトナム国防省の軍事歴史院が編集したベトナム人民軍50年 (1944-1994)」では60万人中国軍の内2万人が戦死、4万人負傷合わせて1割の死傷者出た記している。

※この「戦況推移」の解説は、「中越戦争」の解説の一部です。
「戦況推移」を含む「中越戦争」の記事については、「中越戦争」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「戦況推移」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「戦況推移」の関連用語

戦況推移のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



戦況推移のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの第二次ドネツク空港の戦い (改訂履歴)、中越戦争 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS