大奥と徳川家の女性たち
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「篤姫 (NHK大河ドラマ)」の記事における「大奥と徳川家の女性たち」の解説
和宮(かずのみや) (和宮→静寛院) 演:堀北真希 孝明天皇の妹。徳川家茂の御台所。元々は有栖川宮熾仁と婚約しており相思の仲であったものの、幕府から徳川家茂への降嫁の要請によって江戸行きを望まれるようになる。強く拒絶の意思を示すも、孝明天皇に「日本国のため」と諭されて、涙ながらに承諾した。江戸行きに当たっては御所風の生活態度を変えない事を望んだ。 江戸到着後は側近たちの意に従って徳川家の女性達とは距離を置いていたが、家茂と政事について会話を交わす内に次第に心を開いて行く。勅使の強硬な改革指示に関しては、自身に負い目を感じる一方で、家茂が攘夷不可能を自ら天皇に上奏すべくために上洛を決意、際には家茂の身を案じるがゆえに、上洛を後押しした天璋院に対し怨み事を吐いた。 家茂が京坂で病に倒れると、天皇に嘆願して家茂を江戸へ帰国させる事に成功。帰国後は家茂に今まで拒んできた実子を望むようになる。一時懐妊の兆しが現れた時、天璋院の心遣いに心を打たれる。懐妊は誤報だったが、以後はすれ違いながらも天璋院との仲も少しずつ雪解けしていく事になる。長州征伐に赴いた家茂の無事をひたすら祈っていたが、その甲斐もなく家茂は死去。 家茂の没後は無気力に日々を送り、女官たちの勧めで帰京の準備を進めていたが、天璋院の気丈な振る舞いに心を打たれ徳川の人間として生きていく事を決意する。その際に剃髪して静寛院(せいかんいん)と号した。天璋院が自分が大奥を守ると宣言すると、それを支持する。薩長軍に敗れて江戸に退却した徳川慶喜には不快感を示すが、天璋院の意見に従って慶喜助命の嘆願書を書いた。 江戸城を出る際には徳川家の江戸復帰を望みながら清水邸に下がるが、間もなく帰京した。維新後、上京して天璋院と再会。二人で芝居を見に行くなど良好な関係を保ったが、程なくして療養先の箱根で薨去した。享年32。 幾島(いくしま) 演:松坂慶子 元は斉彬の姉・郁姫に仕えた老女で、郁姫の死後はその嫁ぎ先である京の近衛家に仕えていた。武道・芸道・礼法などに通じた才女。 斉彬に請われ、篤姫に「島津宗家の姫」としての教育を施すために薩摩に下る。厳格な性格で教育係として篤姫に厳しく接し、篤姫も当初は幾島を嫌っていたが、鶴丸城・江戸藩邸・大奥と共に過ごす内に君臣の間柄を越えた友となってゆく。また、プライドが高く人譲りの物を大いに嫌っていた。郁姫の早世に関して自責しており、当初は心の奥に秘め、篤姫に語ろうとしなかった。 篤姫付きの御年寄として大奥に入ると江戸城外の西郷・小の島と連携し一橋慶喜擁立の政治工作にも関る。しかし、大奥に根深い水戸嫌いの空気の前に工作は難航する。それでも幾島は斉彬の命を頑なに守り通そうとし、慶喜を推すことに疑問を感じ始めた篤姫との間にも溝が生じてゆく。 家茂が将軍に就任し、天璋院となった篤姫が徳川家の人間として生きる決意を知ると、薩摩・近衛家との関係を重視する自分が足手まといになることを憂慮し、引退宣言をして大奥から去った。別れの日、天璋院は自らが婚礼で着用した袿(うちき)を形身として与え長年の労に報い、幾島は斉彬から預かっていた薩摩の風景が描かれた掛軸を献上した。 引退後は近衛家にいたが、唐橋が近衛家に慶喜助命の嘆願書を持ってきた縁で、再び大奥に参上する。その際に小松帯刀からの願いもあって、自ら天璋院の嘆願書を持って官軍の陣を訪れ、西郷吉之助に直談判を試みる。功を奏せず説得には失敗したが、西郷の心を動かす斉彬の存在を天璋院に教える。間もなく大奥を出て京都に戻った。 滝山(たきやま) 演:稲森いずみ 1,000人もの大奥女中の総取締役を務める老女、筆頭御年寄役。常に表情を崩さず、冷静沈着かつ淡々としている女性。給仕を担当する女中たちに衣装の袖に当て布をすることを奨励するなど倹約にも気を使っているが、そのために篤姫に関することでは金銭に糸目をつけない幾島とは意見が対立することもある。将軍継嗣問題では南紀派に属し、本寿院と共に慶福支持を大奥の意向として取りまとめる。大奥の慣わしに従わなかった篤姫とは当初は微妙な距離だったものの、篤姫が井伊大老就任に間接的に協力したため、本寿院とは対照的に篤姫に同情を寄せる。 家定の死後も引続いて大奥を取締り、重野らとともに天璋院を支えるなど、幾島に代わる天璋院の側近筆頭といった存在になっていく。安政の大獄には批判的で、井伊を大老に推したことを後悔していた。 和宮降嫁に際しては、御所風の暮らしを希望する京方の要求を毅然と撥ね付け、武家のしきたりを守り通した。将軍家の世継を作るという大奥の役目を重んじるあまり、天璋院・観行院に家茂に側室を持たせることを提案する。天璋院には即座に却下されるが、その深い思いやりに感服し、改めて大奥を死に場所とする事を誓う。江戸城無血開城の日、天璋院を「大奥を閉じるために大奥に呼ばれた人物」であると称した。 維新後は夫婦養子をとって隠居するが、徳川家達婚約の際には養子と元女中たちを連れて天璋院の許を訪れる。 本寿院(ほんじゅいん) 演:高畑淳子 家慶の側室で家定の生母。名は美津。大奥に対して倹約を叫んでいる水戸の徳川斉昭とその息子である一橋慶喜を毛嫌いしている。 篤姫は本寿院を姑として立て、彼女も篤姫を嫁として憎からず思い、一日も早い世継の誕生を願っていたが、篤姫の入輿の目的が慶喜の推挙にあったことを知ると一転、篤姫を憎悪してことあるごとに彼女を攻撃し、家定の死も篤姫に原因があると思って辛く当たった。 和宮の入輿後は武家方の急先鋒となり、しきたりに従わない京方を強く嫌悪している。また和宮がしきたりに従わない事や薩摩の政治介入を天璋院のせいだと批判した。 家茂亡き後、新たに将軍に就任した慶喜が京都二条城で政務を執ることと慶喜の正室が大奥に入らないことを聞くと安堵した。揺らぐ政情に大奥が翻弄されると不安感を覚えるが、天璋院や静寛院が大奥を守る決意を固めると、自らもそれに同調して大奥の結束に貢献する。しかし慶喜が官軍に敗れ退却してきたことに激昂し、慶喜の首を差し出して徳川家を守るように主張する。 大奥を出た後は天璋院らとともに一橋邸に移り、以後も共に東京で暮らす。また維新後は眼鏡をかけている。 観行院(かんぎょういん) 演:若村麻由美 和宮(静寛院)の母。名は経子(つねこ)。突然に江戸に下る事となった和宮を不憫に思い、孝明天皇に同行を申し出る。江戸に到着後は特にその慣わしを嫌悪し、和宮が武家の風俗に触れないよう細心の注意を払っている。その使命よりも和宮の事を慮っており、彼女が夫と使命との間に板挟みになっているのを察すると、自らの意思を優先する事を説いた。 長州藩による御所襲撃の際に薩摩藩が防戦に尽くした事を聞き、薩摩出身の天璋院に好感を持ち始め、和宮懐妊の一件を挟んで京方も天璋院に信頼を寄せるようになる。しかし間もなく心労によって倒れ、和宮の行く末を天璋院に託しながら安らかに逝去した。 庭田嗣子(にわた つぐこ) 演:中村メイコ 典侍。孝明天皇の側近女官。 和宮降嫁には難色を示していたが、孝明天皇が意見を変えると、和宮付きの女官総取締役として同行する事となる。朝廷の権威と格式をひけらかし、女官達の先頭に立って天璋院ら江戸方の女性達に様々な嫌がらせを行う。和宮の事を慮るよりも武家自体に嫌悪感を抱いており、和宮と家茂の夫婦仲がよくなるのを面白くなく思っていた。 家茂死去によって悲しみに沈む和宮に帰京を勧めた。その後、体調を崩し、大政奉還で大奥が揺れる中で亡くなった。 志賀(しが) (志賀→豊倹院) 演:鶴田真由 家定の側室、御中﨟。美人ではあるが、摘んだ花を食べたり、家定のお成りを待って千羽鶴をひたすら折り続けるなど、奇行の持ち主。 唯一の側室であるために悪い噂が絶えないが、純粋に家定に好意を持って仕えている。そのため、家定の訃報に接すると常に側近くにあったのに彼の体の異常に気付かなかった篤姫を責めた。 その後、落飾して豊倹院(ほうけんいん)と号する。大奥を下がる日には、家定が心から愛した女性は篤姫だけであったと告げ、悲しみに沈む篤姫が再び立ち上がるきっかけを作った。大奥を下がってからは桜田の御用屋敷で家定の菩提を弔いながら過ごす。 重野(しげの) 演:中嶋朋子 天璋院付きの女中。大奥での工作を有利に進めるために幾島の命を受けて本寿院と滝山の注視を命じられる。 当初は表使であったが、幾島が大奥を去る際に、表に顔の利く事を見込まれて御年寄に抜擢される。以後は天璋院の側近として仕えて一番の理解者となり、時には冷静に天璋院をたしなめる事もある。 天璋院が故地である薩摩と戦う事になることを危惧して天璋院に薩摩へ帰るように願うが、その決意を曲げるには至らず、却って天璋院の覚悟に感服する。 大奥を出てからも天璋院に仕えるが、質素な暮らしを強いられる天璋院に苦労をさせないために、数人の女中を連れて天璋院の前を去った。徳川家達婚約の際には滝山らと天璋院に再会する。 唐橋(からはし) 演:高橋由美子 御年寄。実家は京都の漢方医で、上方との繋がりを見込まれて天璋院付きとなる。重野らに次ぐ側近として天璋院を支える。やや能天気で一言多いのが玉に瑕だが、客観的に物事を考察する一面もある。天璋院が大奥を自らの家族として遇した時には号泣した。天璋院が徳川慶喜の助命嘆願書を書くと、自ら願い出て京の近衛家に赴く。嘆願書を受け取る事は拒否されたが、天璋院の旧知である幾島を連れ帰った。大奥を出た後も引き続き天璋院に仕え、重野が去った後は第一の側近となり、天璋院が亡くなるまで仕えた。 歌橋(うたはし) 演:岩井友見 上臈御年寄。家定の乳母。本寿院に近侍している。篤姫と家定との間に一日も早く世継が生まれるようにと本寿院と共に知恵を絞るが、篤姫輿入れの目的が判明すると逆に二人の仲を裂くための策を練るようになる。 家定の死後も本寿院の側近として仕えており、和宮入輿後は本寿院とともに京方の態度に不満を持ち、また薩摩の政治介入が天璋院と何らかの関係があると思い、彼女に不信感を持った。 家茂亡き後、新たに将軍に就任した慶喜の正室が大奥に入らないことを聞くと、大奥の存在意義が無くなることを危惧した。 大奥を出た後も本寿院とともに余生を送る。 土御門藤子(つちみかど ふじこ) 演:竹本聡子 和宮付き女官。江戸方の女中たちと対立し衝突する事となる。また他の女中たちと同じく攘夷思想を持っており、薩摩藩による生麦事件を攘夷決行と声を上げた。京方の女官では天璋院への使者へ立つこともしばしばある。和宮が徳川慶喜の助命嘆願書を書くと、率先して自らが上洛する事を志願した。和宮が大奥を下がっても後、側近くに仕えた。 少進(しょうしん) 演:中村春菜 和宮付きの女官。大政奉還が断行されると、大いに不安を覚える。 能登(のと) 和宮付きの女官。静寛院の側近で、常々に攘夷を唱えている。 天璋院付き大奥女中 初瀬(はつせ) 演:宮地雅子 御年寄。初めて江戸城大奥に入った篤姫付きとなり、今までの風習にことごとく異を唱える篤姫に振りまわされる事になる。しかし次第に篤姫の側近として忠勤するようになる。篤姫の落飾後、間もなく大奥を下がった。 常磐井(ときわい) 演:戸谷友 上臈御年寄。初めて江戸城大奥に入った篤姫付きとなる。 花園(はなぞの) 演:こだま愛 上臈御年寄。かつての天璋院の部屋に豪華な調度品を揃えた。常磐とともに天璋院を支える女中の一人。 常磐(ときわ) 演:安倍麻美 天璋院付きの女中。天璋院に命じられて、かつての天璋院の部屋に豪華な調度品を揃える。しかし京からやってきた女中たちとは折り合いが悪く、天璋院に訴えるようになる。その後も重野に次ぐ側近として天璋院に仕えた。江戸城開城後も天璋院に仕えることを望むが、若年である事を理由に天璋院から家庭を持つ事を諭された。その後、家庭を持ち、徳川家達婚約の際に子供たちを連れて天璋院の元に現れる。 岩野(いわの)/ 川井(かわい) 中年寄。初めて江戸城大奥に入った篤姫付きとなる。 ふく 御中﨟。篤姫が江戸城大奥に入って初めての朝、篤姫の起床を促した。江戸城開城を前に、かよ・くわとともに天璋院に先んじて大奥を下がった。徳川家達婚礼の際に天璋院と再会する。 かよ 御中﨟。篤姫の朝食の膳を担当していた。江戸城開城を前に大奥を下がった。徳川家達婚礼の際に天璋院と再会する。 くわ 御中﨟。篤姫が大奥に入って初めての朝に髪をといた。また、ふくらとともに篤姫に起床時のしきたりを教えた。江戸城開城を前に大奥を下がった。徳川家達婚礼の際に天璋院と再会する。 さか 御中﨟。篤姫のお召し替えを担当していた。 みや 御中﨟。篤姫に仕える。 福田(ふくだ) 表使。天璋院に仕える。 近衛泰子(このえ ひろこ) 演:長谷川愛美 近衛家の娘。徳川家達と婚約する。 みき / すわ / つよ 御中﨟。徳川家定に仕える。 岩尾(いわお)/ てつ 御年寄。本寿院に仕える。
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