大奥時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/24 14:07 UTC 版)
文化10年(1813年)、大納言・池尻暉房の末娘として京都にて生まれる。 天保3年(1832年)、後に江戸幕府13代将軍となる徳川家定の正室として輿入れした当時8歳の鷹司任子の世話役として江戸へ出仕。天保7年(1836年)、11代将軍・徳川家斉の寵臣である林忠英が宿元となり、家斉の将軍付小上臈として大奥に入る。その後、徳川家慶が12代将軍に就任して以降、将軍付上臈御年寄に昇格、万里小路と名を改める。この頃の大奥では、同じく上臈御年寄の姉小路が権力を握っていたとされるが、実際の筆頭老女は万里小路であった。 13代将軍・徳川家定が死去した安政5年(1858年)頃に大奥から退き桜田御用屋敷へ移る。しかし、14代将軍・徳川家茂の御世には、再び大奥への出仕を命じられた。
※この「大奥時代」の解説は、「万里小路局」の解説の一部です。
「大奥時代」を含む「万里小路局」の記事については、「万里小路局」の概要を参照ください。
- 大奥時代のページへのリンク