事大主義・小中華思想・儒教・属国史
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「韓国起源説」の記事における「事大主義・小中華思想・儒教・属国史」の解説
朝鮮半島の歴代王朝は長期間に渡って中国大陸の歴代王朝による直接統治を受けたり藩属国となっており、例えば、三韓族は楽浪郡や帯方郡に所属して間接支配を受けていた他、新羅は当初は韓 (三韓の1つ馬韓族が建てた百済)・倭国・満州民族の高句麗の属国であり、その後北斉(北朝)・陳(南朝)・隋・唐に朝貢し服属するようになる。高麗は宋・契丹(遼)・女真(金)・明の藩属国であり、元の時代には直接支配を受けた。李氏朝鮮は明・清の藩属国であり定期的に朝貢していた(日清戦争まで)。これらの歴代王朝の多くは中国歴代王朝による冊封を受け(中国朝鮮関係史参照)、朝鮮半島では中華文化に対して卑屈なまでに尊ぶ事大主義と、自らを中華の一部と見做して「劣等な周辺諸国」に対して優越すると信じる小中華思想の時代が長く続いた。 近代に至り、宗主国である清が日本に日清戦争によって敗れると小中華思想は現実面で立ち行かなくなる。小中華思想の上では劣等でなければならない日本によって併合・近代化され、日本文化が大量に流入すると、日本に対する劣等感や反日感情が広がった。第二次世界大戦後に独立したが、国民国家形成と国際的な認知を得るために必要な自民族の歴史と文化に基づいたアイデンティティーが不足することとなった。そこで、既に世界的に認知度の高い日本文化や中国文化などを韓国起源と剽窃することで、国家アイデンティティの形成、海外からの認知向上、自国を併合地化した上に、長年大国として君臨してきた日本・中国に対する劣等感の克服を同時に、容易に果たそうとしていると考えられている。 また、このような小中華思想に儒教思想や民族主義が加わることによって「優越な長男の中国と次男の韓国(朝鮮)、劣等な三男の日本」、「優越な母の韓国と劣等な捨て子の日本」という認識が発生し、さらには、 「先進的で文化的で優秀な朝鮮が、未開で野蛮で劣等な日本に先進的な文明を授けてやった。」 「日本は韓国の優れた文化を受け入れただけの文化劣等国」 「日本は有史以来一枚見下げるべき文化的劣等者」 「全ての日本文化は朝鮮に源流がある」 「百済人が日本を建国した」 という歴史観が広く浸透し、日本文化に対する韓国起源説の温床となっている。 このような日本蔑視は、日本列島を指す「島国」という言葉が「劣等で未開」という意味で使われていることからも伺え、駐日韓国大使がテレビのインタビューで使うまでになっている。また、韓国マスコミも、「日王」「チョッパリ」「ウェノム」「イルボンノムドル」などの日本と日本人を指す侮蔑語を日常的に使用し、 「古代に韓民族の中の質の悪い犯罪者を「おぼれ死ね」と丸太に縛って海に流して島にたどり着いたのが国際的なならず者の低質日本民族の正体だ」 「『日本猿』と『チョッパリ』、どちらが日本人の呼び名に相応しいか?」 「裸で魚を獲っていた人に我々が文化を伝えてやったのに何を言ってるんだ」 「『倭人』という言葉がある。とても小さくてみすぼらしいという意味の倭だ。人間の度量が小さくて狭い場合に私たちは『小さい奴』という言葉を使う。日本はそのような種族だ。」 「『日本猿』という呼称がある。陰湿で凶悪で他人の真似はうまい人に、よく『猿のような奴』と非難する。日本はその猿のように卑怯な種族だ。」などと、極度に侮蔑的な対日論評を日常的に行っている。このように、韓国社会全般では「韓国人の優秀性」と「日本の劣等性・未開性・野蛮性」を扇動する傾向が強く、韓国起源説が発生しやすい環境が醸成されている。 また、自著の中で水野俊平(野平俊水)は韓国の「情」に言及している。朝鮮半島史は一貫して外敵との戦いの歴史(周辺の強国に侵略や占領され、事大する歴史)であり、「偉大なる民族史」に憧れる心情は「理解できないことでもない」としている。また、韓国大衆の間で、「朝鮮半島史が日帝や親日派により不当に矮小化された」と信じられている為、「植民地史観から歴史を回復(復元)する」という名目で行われる起源説の主張が非常に受け入れられやすく、正統派の歴史学者が偽史や起源説に異議を唱えにくい状況になってしまっていると分析している。また、日本人学者が起源説を否定した場合「歴史を歪曲する日本の右翼学者」とレッテルを張られ、深く議論されることはまずない。そのため、韓国の学会ですら全く認められていないか疑問視されているような起源説であっても、否定する言説が表れないため、韓国大衆に「事実」として認識され広まっていくケースが多いとしている。 台湾の評論家である何則文(中国語版)は「韓国起源説」について以下のように分析する。 2015年、柯文哲台北市長が韓国を訪れた際に、2015年夏季ユニバーシアード選手村にある「韓醫(韓医学)」という横断幕を見てショックを受けたことがある。そのことを台湾メディアが報じると、「漢方医学が中国医学であることを否認して、韓医学と称するなんて、恥知らず」と多数の台湾人が非難したが、台湾人が怒るのは、原理主義的な中華思想の過ちを犯している。何故なら、台湾人が非難する韓国起源説は、中華文明の束縛から解放された韓国人が独自の価値観を構築する過程だからである。 朝鮮の歴史は、周武王による殷帝辛征服後、殷朝の残党が朝鮮に移民し、箕子朝鮮を建国した。戦国時代には燕国の将軍である衛満が移民を率いて箕子朝鮮に入り、衛氏朝鮮を建国するなど朝鮮は古代から中国の一部だった。この中国の地方政権がようやく「祖国の抱擁」に戻ったのは、漢武帝の時代である。漢武帝は紀元前108年、衛氏朝鮮を破壊し、そこに漢四郡を設置、朝鮮半島を植民地にした。400年以上にわたって中国の植民地だった漢四郡は、中国東北部において台頭した高句麗によって滅ぼされた。高句麗は中国の外患となり、高句麗領は現在の北朝鮮と東三省にまたがる。高句麗は、現在の中国領で建国されたので、中国の歴史家は、中国の地方政権だったと考えている。隋煬帝が高句麗を討伐した理由は、高句麗は中国の控制から離脱した中国の地方政権であり、この分離独立運動を排除しなければ中国の統一は完成しないと考えたからである。そして、唐高宗が祖国の統一を完成させた。宋代、北方の契丹と新王朝の高麗王朝が争い、一時期、高麗王朝は独立していたが、その後の元朝の台頭により、高麗王朝の独立は奪われた。李氏朝鮮という国号は朱元璋が命名した。李氏朝鮮の建国王・李成桂が高麗王朝の王位を簒奪し、明朝の礼部に新政権の国名について問い合わせる手紙を出したとき、朱元璋が「東夷の国号は朝鮮のみ」と答えたことに由来する。李氏朝鮮は明朝の元号を使い、国家という概念もなく、中国が中心ということにちなんで「東国」と自称し、明朝の服飾を身にまとっていた。現在、韓服と称しているが、実際は明朝の服飾である。 1000年以上の歴史をもつ朝鮮では、自己の文字がなく、中国語で文章を書き、自分たちは中華文明の一部であり、孔子や孟子の聖道を継承していると自認しており、李氏朝鮮世宗が朝鮮固有の文字の創製を推進した時には、「昔から九州では、風習や方言は違っていたが、風習や方言が違うからといって文字を変えた人はいない。中国は、朝鮮には箕子の遺風、箕子の文物、箕子の礼楽があると朝鮮人を中国人になぞらえている。諺文をつくり、中華を捨てて夷狄になることは、文明に対する反逆ではないか」と士大夫から強烈な反発を受けた。士大夫は、国家という概念をもっておらず、「九州」に朝鮮を含み、箕子の遺風を継承し、中華の聖道を継承していることに深い誇りを抱いていた。このような士大夫の抵抗により、20世紀になってようやく諺文は全国に普及した。明代の朝鮮は、自らを中華の一部であり、自らは中原から移民した箕子の子孫と認め、中原と同一文化を共有していた。朝鮮人の思慕の祖国である明朝は崩壊したが、『朝鮮王朝実録』に「吾東方自箕子以來、教化大行、男有烈士之風、女有貞正之俗、史稱小中華(箕子が我が東方に来て、民を教化され、男は烈士に、女は貞節となり、小中華となった)」とあるのは、漢人の中華王朝の終焉を受け入れることができなかったことを示す。李氏朝鮮では明朝の服飾を身にまとい、その後、清に隷属したが、人々は崇禎紀元を使用しており、崇禎から200年後の文書でさえ崇禎紀元を使用している。人々は明朝を懐かしみ、清朝の皇帝を「虜王」と呼ぶほどであり、明朝の鄭成功統治下の台湾でもみられない現象が、李氏朝鮮ではおこなわれていた。19世紀後半まで、朝鮮では自らを中国人の箕子の子孫と称していた。「太極旗」は、1882年に韓国の使臣の朴泳孝と金玉均が外交交渉時に、清国の「黄龍旗」を使用できるよう清国に許可を求めたが、清国が拒否したことから、その代わりに在韓中国使節だった馬建忠が「太極旗」をデザインした。 おとなしかった中国の弟が、突如として、自らは中華の聖道を継承していないと主張するようになった背景には檀君がある。日韓国併合後、有史以来、中国に支配され、自らの道を自らで切り開くことができなかった朝鮮人の悲劇を見出した申采浩は、国家と民族のアイデンティティを構築するためには、歴史を改竄する必要があると悟り、中華文明や儒教の束縛から解き放ち、朝鮮人の自己視点から歴史を描いた。こうして、中華文明の起源を箕子から架空の人物である檀君に置き換えることにより、歴史を改竄した申采浩は、「沒有歷史,就沒有民族。(歴史なくして国家なし)」と宣言した。申采浩によって、朝鮮人たちはもはや中華文明の一部ではなく、独立した朝鮮文化であると妄想するようになった。2000年以上の歴史を持つ朝鮮が、中国から独立してから、まだ100年余りしか経っていない。漢代の植民地漢四郡の時代から、中国や日本と肩を並べる東アジアの大国となった現代の韓国は、かつては自らを箕子の子孫だと自認していたが、現在では、中華文明への執着から解放され、韓国人であることに誇りをもち、脱中国運動がはじまり、その脱中国運動こそが「韓国起源説」である。
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