中央・南アメリカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:58 UTC 版)
総じてラテンアメリカと呼ばれる地域とほぼ一致するアメリカ大陸の中南部は、日本が西欧諸国との接触を持った16世紀には既にスペインやポルトガルの支配下にあった。スペインは現在の中米諸国やフィリピンを含むヌエバ・エスパーニャを統治し、ここを通じて対日貿易の展開や慶長遣欧使節の受入などを行ったが、使節団の帰国時には江戸幕府の鎖国政策が強化されており、日本と同地域との交流は17世紀前半に一度途絶した。 19世紀後半に日本が開国し、続いて明治維新が起きた時、ラテンアメリカ地域は既にほとんどが独立していた。明治政府は江戸幕府がアメリカ合衆国や西欧諸国との間で結んだ「不平等条約」の解消に苦心する中、ラテンアメリカ諸国との平等条約締結による外交実績の強化に動き、メキシコを皮切りに次々と外交関係を樹立した。中南米諸国も農業労働力の確保に利点を見いだし、19世紀末から日本人移民の受入を開始した。ただし、この地域はモンロー主義以来、アメリカ合衆国が強い関心と影響力を維持しており、真珠湾攻撃で1941年に日本とアメリカが第二次世界大戦(太平洋戦争)に突入するとメキシコ以外の中米諸国は即座に、それ以外の国も1942年のブラジル・メキシコから1945年までに全て対日宣戦布告を行って、一部では日系人の強制収容やアメリカ合衆国への国外追放も実施した。戦後は日本がアメリカの強い影響下に入った事もあり、両地域の交流は再び強化され、日本企業の進出や日系人労働者の日本移入なども行われた。また、東南アジアの経済発展も取り込む環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に日本やメキシコ、ペルー、チリなどが参加し、同協定に不参加となったアメリカ合衆国を抜きにした独自の協力強化も進められている。 中央アメリカ(中米)諸国とは、人的・文化的な交流に乏しいものの、経済的な関係を中心に平穏な関係を保つ。また、キューバなどの社会主義国とも経済・文化の両面で友好的な関係が築かれ、ペルー日本大使公邸占拠事件でも日本の要請を受けたキューバがゲリラの亡命受け入れを受諾するなど協力した。 南アメリカ(南米)は、地理的に地球の真裏に位置するが、下記のように19世紀の後半からペルーやアルゼンチンと深い友好関係を有する。また、かつて日本からの移民を大量に受け入れた経緯もある。貿易関係では、チリとの関係が特に大きく、戦前からの友好関係が続くアルゼンチンやパラグアイといった親日的な国も多い。 アルゼンチン:1898年(明治31年)、日本はアルゼンチンと修好通商航海条約を結んで、当時のロシア帝国との戦争に備えて軍艦リバダビア、モレノをそれぞれ春日、日進として購入し、それらが日露戦争で活躍したことなどから本格的な関係が開始された。1941年以前の両国間の関係は、ブラジル同様に移民が中心であり、現在アルゼンチンには推定1万人ほどの日系人(日系アルゼンチン人)がいる。第二次世界大戦時には一時国交が途絶えるものの、戦後にすぐ回復した。また、フォークランド諸島の領有権を巡って勃発したイギリス対アルゼンチンのマルビナス戦争(フォークランド紛争)の最中、アメリカ政府やイギリス政府などからの再三の要請にもかかわらず、アルゼンチンへの禁輸措置を実施しないなどの日本の独自外交は、アルゼンチンの知日家から高く評価される。現在ではともにG20の一員として、経済的な結び付きを強めている。 「日本とアルゼンチンの関係」も参照 チリ:1897年の日本チリ修好通商航海条約の締結により、初めて国交が樹立した。その後、第二次世界大戦では1945年にチリが対日宣戦した事に伴い一時国交が断絶、しかし戦後はすぐ回復した。現在では、チリで生産される銅やモリブデン、木材、魚類、そしてワインなどが日本に輸出されており、特にチリワインは対日ワイン輸出額第一位である。この活発な貿易を支えているのは、二国間で締結されている日チリ経済連携協定(EPA)や日・チリ租税条約であり、また両国は同時に環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の参加国でもあるなど、友好国である。加えて、チリは1960年にマグニチュード9.5のチリ地震に襲われ、日本は2011年にマグニチュード9.0の東日本大震災に遭うなど、両国とも地震大国である。このことから、地震研究に関しては手を取り合う場面が多い。 「日本とチリの関係」も参照 バハマ:1973年7月10日の独立から二日後の同27日に独立承認。1975年から外交関係が設立される。2011年に「脱税の防止のための情報の交換及び個人の所得についての課税権の配分に関する日本国政府とバハマ国政府との間の協定」が結ばれたが2017年1月に改定することが両国で実質合意した。(バハマはタックス・ヘイブンとして知られている) ブラジル:19世紀、ブラジルはアフリカ大陸から送られてくる奴隷をコーヒー農園や果樹園の労働者として使役していたが、諸外国の非難を受けて1888年に奴隷制を廃止した。その結果、人手不足に陥りイタリアやスペインから移民を受け入れるも、待遇の悪さや賃金の低さが問題となり移民受け入れが停止され、1892年にブラジル政府は代わって日本人移民の受け入れを表明し、日本国内の人余りもあり利害が一致し、1895年には移民実現のため「日伯修好通商航海条約」が結ばれて、両国に初めて外交関係が樹立した。本格的な移民受け入れが始まったのは、日露戦争に勝利したものの賠償金が得られず経済的に日本が混乱した20世紀初頭であった。その後、第一次世界大戦、第二次世界大戦などで一時的な移民受け入れの途絶があり、特に第二次世界大戦の際には一時国交まで断絶したものの、移民の動きは戦後の1960年代まで継続した。移民のピークであった1908年から1941年の間には、19万人以上がブラジルへと渡っている。 この移民を通じて、サンパウロにはリベルダージといった日本人街が築かれ、世界最大級の日本人学校もサンパウロに所在し、ブラジル全体では約180万人という海外で最大規模の日系人社会が築かれていることもあり(日系ブラジル人)、政治・経済面のみならず、文化的な面からも非常に深い関係を維持している。特に、Jリーグが開催し始めて以降、ブラジル人選手が最多数の外国人選手であり続けている。また、20世紀後半になると日本からブラジルという移民の構図は崩れ、在日ブラジル人も増え続けている事から、日本におけるブラジル文化の浸透も見られる。2013年にBBCが実施した調査では多くのブラジル人が日本の影響を好ましいものと捉えており、最も親日的な国の一つである。外交面では、G4として共に国連安保理常任理事国参入を目指していることもあり、日本にとって南米における最大のパートナーとして国際政治上で連携することも多い。 「日伯関係」も参照 ベネズエラ:日本とベネズエラは1938年に国交を樹立した。しかし、まもなく第二次世界大戦に突入すると両国の国交は断絶、戦後の1952年に復活した。現代において日本にとってベネズエラは重要な原油供給国の一つであり、2008年には原油、鉄鉱石、カカオ、アルミニウムなどを10億ドル相当輸入している。しかし、2010年頃からベネズエラはハイパーインフレーションに悩まされて国民は日用品の購入すらままならない状態になっており、政治面では前政権を引き継いで実権を握り独裁的な傾向を強めるニコラス・マドゥロ大統領と、野党のリーダーとして暫定大統領に任命されているフアン・グアイドの、二人の大統領がいる状態が続いている。日本政府はグアイド暫定大統領を支持しているものの、混乱が解消される気配はなく、それが両国関係の発展を阻害している。 「日本とベネズエラの関係」も参照 ペルー:1872年(明治5年)に清の苦力を奴隷だとして開放したマリア・ルス号事件をきっかけに修交が始まった。その翌年、1873年に日本とペルーは日秘修好通商航海条約に調印して外交関係を正式に締結した。多くの移民が渡航し、ラテンアメリカ(中南米)で2番目に日系人口が多く、第二次世界大戦では日系人の逮捕とアメリカ合衆国への国外追放がラテンアメリカ諸国で最も多く行われた。1990年代に日系ペルー人であるアルベルト・フジモリ(スペイン語で「フヒモリ」)が大統領に就任して急速に関係が緊密化し、在ペルー日本大使公邸占拠事件の強行解決にも成功したが、失脚の後、日本に亡命した。フジモリは出生時の日本国籍所持が有効と認められて参議院議員選挙に立候補した後にペルーに帰国しようとした途中で逮捕され有罪判決を受けた。しかし娘のケイコ・フジモリは2度にわたり大統領選挙で惜敗するなど、日本及び日系人の存在感は今でも強い。2012年には二国間条約である日本・ペルー経済連携協定が締結さた。 「日本とペルーの関係」も参照 メキシコ:中米諸国の中で最も関係が深い。幕末〜明治期の開国以降に結ばれた日墨修好通商条約は、それまで列強各国の不平等条約に苦難を強いられた日本にとって、初めての平等条約である。その関係で、数ある諸外国の大使館の中でも国政の中枢地区ともいえる東京都千代田区・永田町に所在するのは、メキシコ大使館のみである。第二次世界大戦では1942年にメキシコが対日宣戦布告を行い、フィリピン戦線では日本軍とメキシコ軍が交戦したが、メキシコ政府は国内の日系人に対する強制収容は見送った。戦後の両国間の関係は良好で、多数の日本企業が進出するなど経済的な関係も深い。特に自動車産業はメキシコと接するアメリカ合衆国への輸出も盛んで、1994年に発効した北米自由貿易協定(NAFTA)の恩恵も受けたが、自国産業や労働力の保護をアメリカ政府が取るとその影響を受ける環境にもある。
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