日本からの移民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 09:36 UTC 版)
「鎖国」も参照 江戸幕府が鎖国制度により、外国人を日本社会から排斥して以来、日本は1639年から1854年の2世紀以上に亘って、外交面では閉鎖的な国家だった。長崎に住む中国人やオランダ人は例外だったが、彼らですら日本人市民と交流することを思いとどまった。また、一般の日本人が海外へ渡航することは、法律によって厳しく禁止されていた。外交面での変化は1853年にマシュー・ペリー提督が率いるアメリカの艦隊が来航したことがきっかけとなり、これが貿易や外国文化との接触のドアを開くために、政治・経済の中枢がそれまでの江戸幕府から新政府に取って代わる明治維新が始まる要因の一つとなった。 1866年以後、新しい日本政府は富国強兵へ実現させるために必要な知識と経験を身に着けるために、学生と労働者を渡米させることを決定した。 1884年以降、日本政府が労働者の移住を許可したことにより、北米や南米への移民が始まった。オレゴン州の例を挙げれば、1890年には僅か25人だったのが、1891年には1,000人、1900年には2,051人にまで増加している。1915年までに、800ドル以上の貯蓄を持つ日本人男性は、日本から妻を呼ぶ資格があると見做された。
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