沖縄からの移民受け入れの是非
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 13:25 UTC 版)
「オキナワ移住地」の記事における「沖縄からの移民受け入れの是非」の解説
1954年、アメリカ政府はボリビアに使節団を派遣し、ボリビア東部開発の視察を行った。使節団は、報告書の中で、「ボリビアの経済発展のために東部開発は必要であるが、ボリビア人の農民に大きな期待はできない。東部開発推進のためにドイツ、イタリア、ギリシャ、オランダ及び日本からの移民を選択することを勧告する」と、具体的な国名を挙げて移民受け入れをボリビア政府に迫った。 この背景として、ボリビアへの日本人移民事業に自身も関与し、長年にわたり移民研究を行ってきた若槻泰雄は、アメリカ政府がボリビアを移民受け入れ先に考えたのは「先住民の国であるボリビアはアメリカ人自身が嫌う有色人種を受け入れるのに大きな支障はないと推測した」としている。一方でボリビア政府の立場は「ボリビア政府としては、なかなか進まない東部開発と自他共に認めるボリビア人農民への不信を前提にしながらも、非ヨーロッパ人の入植受け入れは、歓迎するものではなかった。しかし事実上のスポンサーであるアメリカ政府の意向を無視できなかった」と推論している。 若槻は論拠として、「1957年にオキナワ移住地を視察したアメリカ国防省民生局長のラーディング少将が、ボリビア政府に直接交渉を行い、オキナワへの移民者に対する地権授与が実現した。このようなアメリカ政府の積極的な関与により、同時期にボリビアで日本からの移民が行われたサンフアン移住地と比べて早期に、スムーズに進んだ」ことを挙げている。
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