沖縄での撮影
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 11:38 UTC 版)
沖縄県は2年前の1972年に日本へ返還されたばかりであり、ひときわ注目を集めていた時期に当たる。沖縄海洋博では、ゴジラシリーズのプロデューサーである田中友幸が三菱海洋未来館の総合プロデューサーを務めており、本作品原案の福島正実も同企画に参加していた繋がりで本作品の依頼を受けた。 各方面とのタイアップに裏打ちされ、主人公たちが滞在する那覇東急ホテルや九州・沖縄航路の豪華フェリーなど、当時の沖縄観光の各種風物が記録された。中野によれば、当時は返還されたばかりで法整備が間に合っていなかったためまだパスポートが必要であり、自動車も右側通行であったという。また、軽く触る程度ではあるが、国頭天願の台詞を通じてウチナンチュ(沖縄人)の日本本土に対する複雑な感情にも触れられている。演出面では、アクション映画に実績のあった監督の福田純によって国際警察の様々な小道具も登場する、スパイ映画風味のサスペンスドラマに仕上げられている。福田は、ゴジラとメカゴジラの対立構造を人間側でも強調しつつ、怪獣のインパクトにドラマが負けないようアクション面を強化したと述べている。 本作品では日本が舞台にもかかわらず、怪獣作品で恒例の逃げる人々や兵器車両はおろか、自衛隊をはじめ防衛軍や防衛隊の類も一切登場しない。また、在日米軍も一切登場しない。特技監督を務めた中野昭慶の回想によると、沖縄が日本に返還されたばかりという事情を踏まえ、自衛隊や在日米軍を出すのを避けたという。検討用台本では防衛軍と在日米軍が出動する描写があった。 脚本を手掛けた山浦は、シナリオハンティングに同行できなかったため、沖縄の描写が『モスラ』のインファント島のようなエキゾチックなものになってしまったと述懐している。
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