特撮監督
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特撮監督(とくさつかんとく)とは、日本の特撮映画やテレビにおいて、SFXが主となるシーンまたはカットの演出を担当するスタッフのこと。特技監督(とくぎかんとく)、または特殊技術(とくしゅぎじゅつ)とも呼ばれる。特技監督は東宝やその流れを汲む円谷プロで多く用いられる名称で、特殊技術チームの中に美術班、照明班などとともに並置される撮影班の責任者である撮影監督=特殊撮影監督(このポジションで実績を残したのち特技監督となった例に有川貞昌と高野宏一がいる)と区別する意味あいがある。
1940年ごろ、円谷英二が特撮カットの多い映画を製作する上で、1本の映画を2人の監督が演出するという方法をとったために生まれた役職である。特撮カットについては演出の全権を持ち、本編カットとの連携をふくめて作品全体についても監督とほぼ対等の発言権がある(これに対して特撮責任者がスーパーバイザーとしてクレジットされる場合は、演出の全権を司る監督のもとで映像作りを技術的に具体化していく役割を担う)。このシステムは、大量の特撮カットを効率的に撮影できるというメリットがある反面、監督と特撮監督が不仲になるなどの弊害もある。また、実質的な二人監督制ということで、東宝特撮の全盛期、黒澤明、岡本喜八など監督としてのアイデンティティを追求していた人々は、特撮物を主管する田中友幸プロデューサーの担当に属しながらも絶対にこの種の企画を引き受けなかった。
この日本独特の方法は現在も脈々と受け継がれている。
代表的な特撮監督
特技監督
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 01:45 UTC 版)
円谷英二 - 戦前から東宝特撮作品の特殊技術を手がけた。 有川貞昌 - 第一作『ゴジラ』の撮影から東宝特撮にたずさわり、複数の特撮作品を手がけた。 中野昭慶 - 円谷の弟子として、円谷の死後70年代の東宝特撮にたずさわった。パニック映画に見られる派手な爆発シーンを得意とする。 川北紘一 -『地球防衛軍』を見て東宝入社を決意した。『流星人間ゾーン』に始まり、1980年代から1990年代の東宝特撮にたずさわった。その後は東宝から独立、『超星神シリーズ』の特技監督も担当している。
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