第二次世界大戦前の日本人学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 13:54 UTC 版)
「サンパウロ日本人学校」の記事における「第二次世界大戦前の日本人学校」の解説
1908年の笠戸丸による初の本格的移民から8年経った1915年に、当時日本人移民が多く集まっていたコンデ街にブラジル初の日本人学校である「大正小学校」が設立された(なお、大正小学校と現在のサンパウロ日本人学校には経営、運営上の繋がりはない)。 その後日本からの移民が増えたことを受け、日本人学校の開設が相次ぎ、1932年にはブラジル全土に200を超える日本人学校が運営されていた(なおこれらの日本人学校は、日本政府の学校教育法のもとに運営されていた学校ではなく、現在でいう無認可校であった)。 しかし、移民の同化政策を推進していた当時のジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス大統領の命令によって、1938年にはブラジル国内の全ての日本人学校が閉鎖されることとなった。その上、1939年に勃発した第二次世界大戦においてブラジルが日本に対して宣戦布告を行い、枢軸国と連合国に分かれ交戦状態に置かれることとなったため、日本人学校の閉鎖も戦後に至るまで続くこととなった。
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