第二次世界大戦前の日本での展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/30 22:49 UTC 版)
「文化映画」の記事における「第二次世界大戦前の日本での展開」の解説
東宝文化映画部は、『上海』(1938年)や上映禁止となった『戦ふ兵隊』(1939年)といった亀井文夫の戦争記録映画などで知られている。 東宝では、文化映画部とは別に、1937年、東京撮影所第二制作部に円谷英二を責任者とする特殊技術課を創設。1939年からは軍からの依頼でおもに銃火器や飛行機操縦法などを解説する実践的な映画を作り始めた。さらに、1944年6月、東宝は、東京撮影所内に特別映画班を強化した航空教育資料製作所(航資)を設置してこれに専念させた。 詳細は「東宝教育映画」を参照 1939年の映画法の制定によって、文化映画は、法的に定義付けが行われる、「映画法」では、「文化映画、時事映画の上映」が義務づけが行われ、文化映画は「国民精神ノ涵養又ハ国民智能ノ啓培ニ資スルモノニシテ劇映画ニ非ザルモノ」との定義づけられた。これに沿って、各「文化映画」の製作会社は、教育、科学、観光などとともに、戦時占領地域の記録フィルムの製作に活路を見いだそうとした。 一方、東宝文化映画部は、1941年5月、日本ニュース映画社から改組された社団法人日本映画社に松竹の文化映画部とともに吸収合併された。日本映画社もニュース映画だけでなく、文化映画の製作会社の製作会社となる。 1943年1月、主な文化映画製作会社を日本映画社、朝日映画社、電通映画社、理研科学映画に統合整理した。これらの文化映画製作各社が1943年から1945年8月までに製作した映画については、各社項目を参照のこと。
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