第二次世界大戦前の日本での研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 01:02 UTC 版)
「高句麗論争」の記事における「第二次世界大戦前の日本での研究」の解説
戦前に高句麗史・渤海史の研究を行った南満洲鉄道株式会社東京支社内に設置された満鮮歴史地理調査部やその事業を東京帝国大学文科大学で移管調査した研究者(白鳥庫吉、箭内亙、松井等、稲葉岩吉、池内宏、津田左右吉、瀬野馬熊、和田清)は、高句麗人・渤海人は北方のツングース民族であり、今日の朝鮮民族の主流をなす韓族ではないと認識し、朝鮮古代史の中心を新羅と見て、満州を舞台に活動した高句麗や渤海などは「満州史」の一部であるという認識をしていた。 今西龍は、「而して特に注意すべきは檀君は本来 、扶餘・高句麗・満洲・蒙古等を包括する通古斯族中の扶餘の神人にして、今日の朝鮮民族の本体をなす韓種族の神に非ず」と述べている。また、稲葉岩吉は「兎に角三国時代の三分の二は満州民族が此の領土に移住して当時の文化を植付けて居ったということは争われない」と述べている。朝鮮総督府の朝鮮史編纂事業によって刊行された『朝鮮史』には、渤海に関する記事はほとんど収録されていないが、その理由は、当時の日本人研究者の間において、渤海が朝鮮史ではなく満州史の一部と認識されていたためである。 朝鮮史編纂事業を行った朝鮮史編纂委員会の第1回編纂委員会で、その席上、李能和からの「渤海は何処へ這入りますか」という質問 に対して、稲葉岩吉は「渤海に就きましては新羅を叙する処で渤海及び之に関聯した鉄利等の記事をも収載する積りであります」と回答している。 今西龍は、1930年8月22日に開かれた朝鮮史編修会第 4 回委員会の席上、崔南善からの質問に答えて「渤海も朝鮮史に関係ない限りは省きます」と発言している。また、戦前に刊行された朝鮮通史である稲葉岩吉と矢野仁一の共著である『世界歴史大系 第十一巻 朝鮮・満洲史』では、高句麗は朝鮮史と満州史の両方でとり上げられているのに対し、渤海は満州史でのみとり上げられ、朝鮮史ではほとんど記述されていない。執筆した稲葉岩吉は、高句麗人や渤海人や女真人といったツングース系満州民族である高句麗と百済を韓族である新羅が統一したと認識していた。
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