ウクライナ語 歴史

ウクライナ語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/17 02:43 UTC 版)

歴史

『ペレソープヌィツャの福音』の細密画。古ウクライナ語の書籍の一つ(1561年)
ロシア帝国におけるウクライナ語の分布(1897年)
現代のウクライナを中心としたウクライナ語の分布(2001年)
ロシア語公用語化反対論者による風刺画。左のロシア語を表す(ロシア語で「言語」と書かれたシャツを着た)大男は、右のウクライナ語を表す(ウクライナ語で「言語」と書かれたシャツを着た)少女に対しロシア語で「嬢ちゃん退いてくれよ。アンタ、俺のこと圧してるんだよ」と文句を言っている

ウクライナ語は、東スラヴ人の最古の国家であるキエフ・ルーシの崩壊後、ロシア語ベラルーシ語とは別の独自の発展を遂げてきた。長らくポーランド王国の影響下に入った西ウクライナからドニプロ・ウクライナにかけての地域(ルテニア)ではポーランド語の影響がより強く見られ、ベラルーシとともにリトアニア大公国の支配下に入った北ウクライナからドニプロ・ウクライナにかけての地域では、ベラルーシ語の特徴であるアーカニエ英語版аканье)の欠如などベラルーシ語の影響が見られた。キーウを含む東ウクライナが、ヘーチマン国家としてポーランド・リトアニア共和国の支配下から脱した17世紀以降、ヘーチマンの庇護の下、ドニプロ・ウクライナを中心にウクライナ語文化の著しい発展が見られた。また、ポーランド王国のもとに留められた西ウクライナでは、リヴィウを中心にウクライナ語文化の独自の発展が見られた。だが、その後ヘーチマン国家はモスクワ大公国ロシア帝国のより強い影響下に置かれるようになり、18世紀のうちには東ウクライナは完全にロシアに併合された。その後、ポーランド分割を経てウクライナの大半はロシア帝国の領土に収められた。ロシア帝国の強力な中央集権体制の下で、ウクライナ文化は分離主義的であるとして弾圧され、ウクライナ語の使用も制限されるようになった。ロシア帝国では、1863年ヴァルーエフ指令1876年エムス法英語版: Эмский указ)により、ウクライナ語という言語の存在は認められておらず、これを「ロシア語の小ロシア方言」と規定し、さらに公式文書や「純粋な」文学作品などはすべてロシア語で記述されていた。

ウクライナ文化圏では、従来ロシア語、ポーランド語、ドイツ語、そしてウクライナ語などの複数の言語による舞台用喜劇脚本が多く著されてきた。そうした中で、初めてのウクライナ語文学と認められているのはポルタヴァイヴァン・コトリャレーウシキーによって18世紀末に書かれたパロディー叙事詩エネイーダ』であった。コトリャレウスキーはオペレッタナタールカ・ポルターウカ英語版』(ウクライナ語: Наталка Полтавка)でも知られ、ウクライナ近代文学の祖とされている。これらは、いずれも喜劇やパロディーという性格を持ち、当時は「純粋な」文学からは明確に区別された分野の作品であった。ニコライ・ゴーゴリなどのようなより「純粋な」作品を書いて世に認められることを望む作家は19世紀を通じてロシア語での執筆活動を続けた。この時代の作家は、ウクライナ語=小ロシア方言で書いて文壇に認められることはありえなかった。

ウクライナ語の歴史は、文語として長らく用いられた教会スラヴ語口語として用いられたいわゆるウクライナ語との関係の間に成り立っていた。現代ウクライナ語の父とされるタラス・シェフチェンコは、ウクライナ語の豊富化を図るため積極的に教会スラヴ語からの借用を行った。しかし、このやり方はのちの作家・言語学者に拒否され、以降ウクライナ語は口語を中心に外来語や各地の方言を取り入れて発展させられていくことになった。イヴァン・フランコレーシャ・ウクライーンカも、ウクライナ語の発展に大きな貢献のあった人物として知られる。

ウクライナ化政策の採られた1920年代ウクライナ社会主義ソビエト共和国では、1927年に初めての正式な正書法である「1927年正書法(ハルキウ正書法)」が定められた。しかし、これは1930年代の反ウクライナ化政策の時代に改竄され、ロシア化が行われた。

1999年に制定された「プロジェクト1999」は、現代ウクライナ語をこの「1927年正書法(ハルキウ正書法)」を基に整備しようとする試みであった。この正書法は基本的にポルターヴァの方言に拠っていると言われ、それに西ウクライナ・ハルィチナーなどの方言が加えられている。ただし、西ウクライナ方言にはポーランド語チェコ語の影響が強く、正書法に定められた中東部のウクライナ語とは語彙や語法とは差がある。ちなみに、この「プロジェクト1999」は2003年に廃止となり現在は公的な立場を持たないが、学者、文筆家に限らず広く市民の間に支持者がおり、しばしば印刷物、テレビ等で見られる。

ソ連末期の「言語法」によってウクライナにおいてウクライナ語は唯一の国語(日本語で言うところの公用語の立場)とされ、独立以降もその立場を維持し続けている。その一方で、ウクライナ国内でも東南部を中心にロシア語話者が多いことから、ロシア語の第二国語もしくは公用語化を掲げる政治勢力も一定の影響力を保っている。しかし、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチなどロシア語話者の政治家が、政治家として活動するために、ウクライナ語を習得しており、必ずしも二項対立では説明しがたい[注 16]

ウクライナにおける言語を巡る状況は個人レベルでも複雑であり、独立以後も一部でロシア語排除を唱える人々、またウクライナ語を蔑視する人々、その衝突を将来的な分裂の要因のとして危惧する考えがある。また、「スルジク」と呼ばれる混用語、すなわちウクライナ語を運用する際、ロシア語語彙を大量に混用している現状も顕著である。さらには、「より純粋なウクライナ語の」表現として、古い語彙を復興させる動きも一部で盛んである[注 17]


  1. ^ より厳密には、憲法第10条により、唯一の「国家語」と規定されている。
  2. ^ ソ連邦に属していた時代の1933年から1990年にかけて、この文字の使用が禁じられた。
  3. ^ ウクライナの法律・公式文章に使用されるローマ字表記(Рішення української комісії з питань правничої термінології)
  4. ^ a b 外来語で用いる半軟音。
  5. ^ 軟音の前に半軟音になる。
  6. ^ a b дзの二重音字。
  7. ^ a b джの二重音字。
  8. ^ 発音は[ɪ̞]と同じ。
  9. ^ [j]の後と軟子音の前の間に[ɛ][ɪi]として発音する。
  10. ^ 無声音の前に[s]となる。
  11. ^ 発音は[ɛ̝]と同じ。
  12. ^ a b c d 無声音は有声子音の前で有声音に変わる。
  13. ^ 円唇化に伴う音。
  14. ^ 1999年に制定され数年間使われた正書法、及び、その基となった「ハルキウ正書法」では、иで始まる文字もあった。例:іншийиншийіноземецьиноземець
  15. ^ ウクライナ語には音だけが残っており特別に説明する場合を除いて文字は用いられないが、ベラルーシ語には文字も残っている。
  16. ^ ヤヌコーヴィチが大統領として2011年に訪日した際、日本では常にウクライナ語で発言をしていた。日本側もウクライナ語の通訳を初めて用意した(ユシチェンコが大統領在籍の際の訪日では宇→英→日だった)。
  17. ^ 「正しい表現、誤った表現」「ロシア語からの借用、純ウクライナ語の表現」等の比較本がしばしば書店で見られる。一部はオンライン版もある。






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