2004年死刑確定囚とは? わかりやすく解説

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2004年死刑確定囚(15人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 14:34 UTC 版)

日本における死刑囚の一覧 (2000-2009)」の記事における「2004年死刑確定囚(15人)」の解説

事件名死刑囚名)判決確定事件発生備考執行日など)警察庁広域重要指定121号事件 (W) 2004年4月19日 1993年10月27日 - 12月20日 1968年昭和43年12月14日生まれ中国系のマレーシア国籍で、2020年9月27日時点東京拘置所収監中(現在53歳)。東京都群馬県滋賀県など4都県にまたがる広域連続強盗殺人事件起こし強盗殺人などの罪に問われた。刑事裁判では強盗殺人共謀殺意の不存在主張したが、1996年7月19日東京地裁阿部文洋裁判長)で死刑判決1998年3月26日東京高裁松本時雄裁判長)で控訴棄却判決2004年4月19日最高裁第一小法廷島田仁郎裁判長)で上告棄却判決を受け、判決への訂正申し立ても同小法廷決定2004年5月25日まで)により棄却されたため死刑確定共犯Mは2005年9月死刑確定神奈川2件強盗殺人事件 (I) 2004年4月27日 1988年12月28日1989年1月1日 1937年昭和12年10月25日生まれ第一審・横浜地裁小田原支部萩原裁判長)は1996年3月8日強盗殺人2件のうち1件を無罪として無期懲役判決言い渡した。しかし控訴審・東京高裁佐藤文哉裁判長)は1999年4月28日死刑判決言い渡し2004年4月27日最高裁藤田宙靖裁判長)が上告棄却判決言い渡したため死刑確定再審請求中の2009年10月27日東京拘置所病死72歳没)。 藤沢市母娘ら5人殺害事件 (F) 2004年6月15日 1981年10月6日1982年5月27日1982年6月5日 1960年昭和35年8月21日生まれ神奈川県で元窃盗仲間・元交際相手女子高生一家3人の計4人を相次いで殺害したほか、一家3人殺事件共犯者逃走先の兵庫県内殺害した一連の3件5件の殺人事件は「警察庁広域重要指定112号事件」に指定された。1988年3月10日横浜地裁和田裁判長)で死刑判決受けて東京高裁控訴するが、控訴中の1991年に自ら控訴取り下げたその後弁護人からの異議申し立てにより1995年最高裁から「取り下げ無効」と判断され審理再開されたが、2000年1月24日東京高裁荒木友雄裁判長)は控訴棄却判決死刑判決支持)を言い渡した最高裁第三小法廷濱田邦夫裁判長)にて2004年6月15日上告棄却判決を受け、それから10日以内判決訂正申し立てず確定した2007年12月7日東京拘置所死刑執行47歳没)。 警察庁広域重要指定118号事件 (O) 2004年6月25日 1986年7月1989年7月1991年5月 1953年昭和28年6月30日生まれ118事件主犯格で元岩手県警警察官殺人被害者数2人加害者3人に死刑判決言い渡された。下記共犯2人S・Kとともに1995年1月27日福島地裁井野明子裁判長)で死刑判決1998年3月17日仙台高裁泉山禎治裁判長)で控訴棄却2004年6月25日最高裁北川弘治裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定死刑確定後東京拘置所移送されたが、2014年6月24日未明誤嚥性肺炎による急性呼吸器不全のため病死60歳没)。下記2人含めいずれも病死時点再審請求中だった。 警察庁広域重要指定118号事件 (S) 2004年6月25日 1986年7月1989年7月1991年5月 1940年昭和15年7月25日生まれ上記O・下記K両加害者共犯者裁判経緯O・K同一2013年8月14日収監先の宮城刑務所仙台拘置支所医務棟で急性肺炎により病死73歳没)。 警察庁広域重要指定118号事件 (K) 2004年6月25日 1986年7月1989年7月1991年5月 1943年昭和18年2月10日生まれ上記O・S加害者共犯者裁判経緯O・S同一死刑確定後、いったんは宮城刑務所仙台拘置支所から東京拘置所移送されたが、2010年12月胆管癌診断されたため、医療施設のある宮城刑務所仙台拘置支所医務棟に移送され2011年1月29日拘置支所外の一般病院病死67歳没)。 徳之島兄家族殺傷事件 (N) 2004年8月26日 2002年8月16日 1970年昭和45年5月7日生まれ2004年6月18日鹿児島地裁大原英雄裁判長)で死刑判決を受け、2004年8月26日に自ら控訴取り下げたため死刑確定死刑確定から約3年5か月後の2008年2月1日福岡拘置所死刑執行37歳没)。 滋賀同僚強盗殺害事件 (N) 2004年9月9日 1989年10月10日1991年12月26日 1947年昭和22年3月11日生まれ1995年5月19日大津地裁中川隆裁判長)で死刑判決を受け、1999年12月22日大阪高裁河上元康裁判長)で控訴棄却判決2004年9月13日最高裁8福田宏裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定死刑確定から約3年6か月後の2008年4月10日大阪拘置所死刑執行60歳没)。 コスモ・リサーチ事件岡本啓三) 2004年9月13日 1988年1月9日 1958年昭和33年9月3日大阪府大阪市西成区生まれ旧姓河村)。下記共犯者Sや共犯の男1人無期懲役が確定)と共謀し投資顧問会社「コスモ・リサーチ」(大阪市社長務めていた相場師男性当時43歳)を拉致して1億円を奪い、その犯行隠蔽することを計画社長同社従業員男性当時23歳)を大阪市内マンション絞殺し遺体コンクリート詰めにして京都府南山城村山林埋めて遺棄した。刑事裁判では強盗殺人などの罪に問われたが、事件計画した時期共犯同士主従関係強盗殺人罪の成否などが争点となった大阪地裁谷村充祐裁判長)は「本件強盗殺人成立する河村主導者でSも刑事責任河村負けず劣らず重大だ」と認定し1995年3月23日下記共犯者Sとともに大阪地裁死刑判決を受け、1999年3月5日大阪高裁西田元彦裁判長)で控訴棄却判決2004年9月13日最高裁福田博裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定死刑確定後旧名河村啓三」名義インパクト出版会から著書『こんな僕でも生きてていいの』『生きる 大阪拘置所死刑囚房から』『落伍者』を出版2017年9月12日第4次再審請求申し立てていたが、請求中の2018年12月27日大阪拘置所死刑執行60歳没)。 コスモ・リサーチ事件 (S) 2004年9月13日 1988年1月9日 1951年昭和26年9月16日生まれ上記岡本河村)の共犯者裁判の経緯同上2018年12月27日大阪拘置所死刑執行67歳没)。 JT女性社員逆恨み殺人事件 (M) 2004年11月10日ないし11日 1997年4月18日 1942年昭和17年5月15日生まれ1976年広島県広島市内で家出中の女子高生殺害し懲役10年の刑に処されるなど、複数前科があった。第一審・東京地裁山室惠裁判長)では1999年5月27日無期懲役判決受けたが、控訴審・東京高裁仁田陸郎裁判長)で2000年2月28日死刑判決受けた2004年10月13日最高裁第二小法廷滝井繁男裁判長)で上告棄却判決受けた判決訂正申立同年11月10日付の同小法廷決定棄却され同日ないし11日付で死刑確定死刑確定から約3年2か月後の2008年2月1日東京拘置所死刑執行65歳没)。 群馬女子高生誘拐殺人事件 (S) 2004年11月13日 2002年7月19日 1966年昭和41年5月19日生まれ第一審・前橋地裁久我泰博裁判長)では2003年10月9日無期懲役判決言い渡されたが、2004年10月29日東京高裁白木勇裁判長)で一審破棄死刑判決上告せず、同年11月13日死刑確定死刑確定から約3年4か月後の2008年4月10日東京拘置所死刑執行41歳没)。 高知連続保険金殺人事件 (S) 2004年11月19日 1987年1月17日1992年8月19日 1927年昭和2年6月21日生まれ死刑確定77歳女性死刑囚としては最高齢高知県室戸市内で1987年共犯者ら共謀して夫を殺害し生命保険金5,000万円詐取したほか、1992年にも交通事故装って同居女性殺害し保険金詐取しようとした殺人詐欺などの罪で起訴され刑事裁判では無罪主張したが、1998年7月29日高知地裁竹田裁判長)で死刑判決を受け、2000年9月28日には高松高裁(島敏男裁判長)で控訴棄却判決2004年11月19日最高裁津野修裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定共犯3人は懲役刑確定大阪拘置所収監されていたが、2010年9月ごろに腫瘍が見つかり、同年12月大阪拘置所から大阪医療刑務所移送された。2011年1月25日ごろから容体悪化し2011年1月27日肝臓がんのため大阪医療刑務所死亡83歳没)。 福岡連続強盗殺人事件 (H) 2004年12月2日 1995年4月18日 1951年昭和26年7月2日生まれ2020年9月27日時点福岡拘置所収監中(現在70歳)。1995年4月福岡県大牟田市男女2人殺害する事件など起こし1999年3月25日福岡地裁仲家暢彦裁判長)で死刑判決を受け、2000年6月29日福岡高裁小出錞一裁判長)で控訴棄却判決2004年12月2日最高裁津野修裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定フィリピン人2女性殺害事件 (M) 2004年12月14日上告審判決宣告日) 1998年12月25日 1953年昭和28年12月14日生まれ本籍地奈良県大和高田市礒野東町旧姓S。2020年9月27日時点名古屋拘置所収監中(現在68歳)。1998年11月三重県松阪市フィリピン人女性2人いずれもスナック従業員20歳代)を絞殺し現金13,000円とネックレス時価合計25万円相当)などを奪ったほか、1998年5月には愛知県名古屋市内のパチンコ店侵入し従業員1人頭部木刀殴って重傷全治6か月)を負わせ、売上金1,920万円余り奪ったとして、強盗殺人罪・建造物侵入罪強盗致傷罪問われた。2000年3月1日共犯者3人とともに津地裁柴田秀裁判長)で共犯者2人とともに死刑判決を受け、2001年5月14日名古屋高裁堀内信明裁判長)で控訴棄却判決2004年12月14日最高裁第三小法廷金谷利廣裁判長)で上告棄却判決を受け、同月24日判決訂正申立書を提出したが、2005年1月21日申立て却下されたことで死刑判決確定死刑確定後2015年には親族へ飴・食パンなどに付属している応募19郵送しようとしたり、知人からネガフィルム差し入れ受けようとしたが、いずれも拘置所側から不許可にされたことで精神的苦痛受けたとして国家賠償請求訴訟起こし2017年4月13日名古屋高裁藤山雅行裁判長)で一部勝訴判決賠償金22,500円)の判決受けた。ともに第一審死刑判決受けた共犯者のうち1人公判途中2000年10月)に死亡し、もう1人控訴審名古屋高裁2001年5月14日判決)で「殺害実行犯としての責任は重いが、従属的な面がある」として、死刑判決破棄され無期懲役判決受けた

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