福岡連続強盗殺人事件
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- 1951年(昭和26年)に福岡県(福岡市および八幡市〈現:北九州市八幡西区〉)で男性2人が相次いで殺害された連続強盗殺人事件。加害者2人のうち1人は死刑が確定(1953年に死刑執行)、もう1人(古谷惣吉)は懲役10年が確定したが、出所後に古谷惣吉連続殺人事件(警察庁広域重要指定105号事件)を起こした。
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福岡連続強盗殺人事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 13:57 UTC 版)
「古谷惣吉連続殺人事件」の記事における「福岡連続強盗殺人事件」の解説
1951年(昭和26年)、当時37歳だった古谷惣吉は、坂本 登(事件当時19歳10か月)と福岡市内で知り合い、県内で坂本と共謀して2件の強盗殺人事件を起こした。共犯者である坂本は、満州出身で、戦争末期に父親が軍隊に召集され、14歳の時に終戦を迎えた。終戦直後、父親はソ連軍によってシベリアへ連行されたまま帰らず、母親もやがて病死。1946年(昭和21年)、坂本は弟妹2人を連れて、奉天から福岡に引き揚げ、福岡の伯父宅に落ち着いたが、兄として弟妹の面倒を見ようと仕事を探していたところ、博多駅裏の一杯飲み屋で古谷と知り合い、「仕事を探してやる」と誘われた。 1951年5月15日 - 金銭欲しさからの犯行。被害者は、坂本の共犯者(=古谷)の知っている小金を持っている男性(当時40歳:バタ屋)で、福岡市東中洲南新橋下(「南新橋」の位置)に在住していた。坂本は、不良仲間(=古谷)からこの男性が小金を貯めていることを聞かされ、共謀。被害者から金品を強取することを企てた。共犯者(古谷)が刑事を装い、被害者に対し「お前の持っている荷物がおかしいから調べる」と言い、被害者を同市犬飼三社町(現在の博多駅近辺:福岡市の地名#博多区も参照)の麦畑に連れ出し、金品を強要した。しかし、被害者が逃げ出したため、「殺害して金品を強取するしかない」と考えた坂本がマフラーで、次いで古谷が腰紐で、それぞれ男性の首を絞めて殺害し、財布(現金8,600円在中)を強取した。事件後、古谷はいったん佐賀県へ向かい、3週間後に八幡市で再び殺人を犯した。 1951年6月3日 - 福岡県八幡市(現:北九州市八幡西区)で発生。坂本は逃走資金欲しさから、共犯者(古谷)と共謀の上、窃盗の犯意を有して他家に侵入したが、物色中に主人が帰宅して発見されたため、主人(当時70歳)を殺害し、金品を強取しようと考えた。主人が鍬で抵抗したため、坂本が首を絞めて気絶させ、さらに古谷も首を絞め(凶器は紐)、主人を殺害。現金250円・服・時計・白米などを強取した。同月10日、被害者の長男(当時42歳)が父親の他殺体(死後約1週間)を発見した。 2つの事件の現場は麦畑や、山間部の一軒家といった人通りの少ない場所だったため、目撃者はおらず、遺留品もなかった。
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