徳之島兄家族殺傷事件とは? わかりやすく解説

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徳之島兄家族殺傷事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/07 06:49 UTC 版)

徳之島兄家族殺傷事件
場所 日本鹿児島県大島郡伊仙町[1]
標的
  • 団体職員Aの妻B(当時40歳)[1]
  • 長女C(当時17歳)[1]
  • 次男D(当時13歳)[1]
日付 2002年平成14年)8月16日[1]
午前11時20分頃 (UTC+9)
概要 Nが兄の住宅に押しかけ、兄の妻と長女を刺身包丁で突き刺して殺害した[1]。また、次男にも重傷を負わせた[1]
攻撃手段 刺身包丁で突き刺す
攻撃側人数 1人
武器 刺身包丁
死亡者 2人
負傷者 1人
犯人 Aの弟N(当時32歳)
容疑 殺人・殺人未遂
動機 兄に自分と同じ寂しさや怒りを味わわせるため[2]
対処 Nを徳之島警察署緊急逮捕鹿児島地方検察庁起訴[3][4]
刑事訴訟 死刑(第一審判決控訴取り下げにより確定 / 執行済み[5][6][7]
管轄
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徳之島兄家族殺傷事件(とくのしまあにかぞくさっしょうじけん)は、2002年平成14年)8月16日鹿児島県徳之島大島郡伊仙町)で発生した殺傷事件である。『南日本新聞』では伊仙町母子殺傷事件と呼称される[8]

概要

2002年8月16日午前11時頃、鹿児島県伊仙町在住の団体職員A(当時42歳)の住居において、Aの妻B(同40歳)、長女C(同17歳)、次男D(同13歳)の3人が、Aの弟である男N(同32歳)に刺身包丁で刺され、B・Cの2人が死亡、Dが重傷を負った[9]

犯人Nは殺人などの罪に問われ、2004年(平成16年)6月18日に鹿児島地裁死刑判決を受けた[10]。同年に自ら控訴を取り下げたことで死刑が確定2008年(平成20年)2月1日に福岡拘置所死刑を執行された(37歳没)[11]

事件の背景

本件の犯人Nは、1970年(昭和45年)5月7日生まれ[12]。出生と同日に母親が死亡し、施設に預けられた[13]。その後、伊仙町に戻り、父親、兄A、姉、大叔母らと暮らすようになった[13]。高校卒業後、1989年(平成元年)に伊仙町を出て、一時期は関西地方のスーパーや精肉店で働いていたが、やがて暴力団員として活動するようになった。

Nは2002年2月に父親の病死を契機に暴力団を脱退し伊仙町に帰郷[9][13]。A方に同居していたが、やがて同じ敷地内にある父親の住居を改築し住みはじめた。同年5月頃からNがCやDに対し干渉するようになり、みかねたAが「自分たち(AとN)は兄弟でも、(Aの)家族は赤の他人なのだから干渉しないように」と指摘すると、それをきっかけに、Nは自分がAから無視されていると邪推するようになった。その後は兄弟の絆を確認しようと思い、自分の住む家の壁を壊すなどの行動に出たが、Aは叱ることはなかったため、NはAに対し、より強い不信感を抱くようになった。

同年6月ごろ、Nは夏祭りの準備作業について知人男性とトラブルになり、その際に兄Aが仲裁に入ったが、NはAが一方的に男性をかばったと思い込み、Aに対する怒りを爆発させ、家族を皆殺しにしてAを悲しませようと決意した[14]

事件

2002年8月16日午前11時20分頃、NはA宅に押しかけ、庭にいたDの胸や腹を刺身包丁で刺して重傷を負わせた[9][13]。屋内に入ると、居間でBの胸を一突きして失血死させた[9][13]。さらにCの脇腹などを刺した後、完全に絶命させようと胸や背中をメッタ刺しにして殺害した[9][13]。犯行の約15分後、Nは刺身包丁を持って徳之島警察署へ出頭したため、徳之島警察署はNを殺人未遂容疑で緊急逮捕した[9][13]。その後、Nに対する容疑を殺人に切り替えて鹿児島地検に送検した[15]。また、Nが自宅から刺身包丁を持ち出したことが判明したため、A一家に対する恨みを晴らすための計画的犯行と見て捜査を進めた[16]

2002年9月6日、鹿児島地検はNを殺人罪・殺人未遂罪で起訴した[17]

刑事裁判

第一審・鹿児島地裁

2002年11月6日、鹿児島地裁(大原英雄裁判長)で刑事裁判の初公判が開かれ、罪状認否被告人Nは起訴事実を全面的に認めた[18][19]。冒頭陳述で検察官は、犯行の動機について「兄から『赤の他人』などと言われたため、自分と同じ寂しさや怒りを味わわせようと、犯行を決意した」などと指摘した[18]

2003年7月30日、鹿児島地裁は、Nについて「刑事責任能力があった」とする心理鑑定結果を証拠採用した[20]。鑑定にあたって弁護側は「精神状態が異常だった」としてNに対する心理鑑定を鹿児島地裁に請求していた[20]

2003年11月5日、Aが検察側証人として出廷し、公判で「被告を極刑にしてほしい」と述べてNに死刑を求めた[21][22]。また、検察官から事件の発生要因について聞かれると「分からない。文句があるなら、私に言えば良かったのに」と回答した[21]。さらに実弟のNに対する現在の心境については「今は兄弟だと思っていない」と述べた[21]

2004年3月5日、Bの姉らが「80代の母親が悲しみに暮れている」「妹を返して」などと述べた供述調書が検察官より読み上げられた[23]

2004年3月26日、論告求刑公判が開かれ、検察官は「兄から無視されていると逆恨みし、家族の命を奪って兄を未来永劫苦しませようとした残虐な行為。非道極まりない犯行で、更生は不可能」として被告人Nに死刑を求刑した[24][25]

2004年6月18日、鹿児島地裁(大原英雄裁判長)で判決公判が開かれ、裁判長は「無差別殺人と同様の事案で、社会的責任は誠に重大。極刑をもって臨むしかない」として被告人Nに検察官の求刑通り死刑とする判決を言い渡した[1][10][26]。同地裁で言い渡された死刑判決は39年ぶりで、判決理由では「犯行態様が悪質、残虐である、動機に酌むべき余地がない」とされている[10]

控訴取り下げ・死刑確定

2004年6月28日、Nは一審・鹿児島地裁の死刑判決を不服として福岡高裁宮崎支部控訴した[27][28]

しかし、同年8月26日付で控訴を取り下げたため、死刑判決が確定した[29]。提出された控訴取下書に理由の記載はなかった[29]

死刑執行

2008年2月1日、Nは死刑確定者(死刑囚)として、福岡拘置所死刑を執行された(37歳没)[30]。死刑執行を指揮した法務大臣鳩山邦夫で、死刑確定から執行までの期間は3年5か月だった[31]。同日にはN以外にも、JT女性社員逆恨み殺人事件の死刑囚(東京拘置所在監)ら2人にも死刑が執行されている[11]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 読売新聞』2004年6月19日 全国版 西部朝刊 社会面35頁「伊仙町の母娘殺害公判 被告、「無差別殺人と同じ」と死刑判決/鹿児島地裁」(読売新聞西部本社
  2. ^ 朝日新聞』2002年11月7日 西部朝刊 鹿児島1地方版27頁「被告、起訴事実認める 伊仙の母子3人殺傷初公判 /鹿児島」(朝日新聞西部本社
  3. ^ 『読売新聞』2002年8月16日 全国版 西部夕刊 夕一面1頁「母娘刺され死亡、二男は重体 夫の弟出頭、逮捕/鹿児島・伊仙町」(読売新聞西部本社)
  4. ^ 『読売新聞』2002年9月7日 鹿児島 西部朝刊 鹿児30頁「伊仙町の母子3人殺傷 N容疑者を起訴 地検=鹿児島」(読売新聞西部本社)
  5. ^ 母子3人殺傷に死刑 鹿児島地裁判決 「矯正極めて困難」」『西日本新聞』2004年6月19日。オリジナルの2004年6月19日時点におけるアーカイブ。2025年2月7日閲覧。
  6. ^ 被告が控訴取り下げ、死刑判決確定 徳之島の母子殺傷」『朝日新聞』2004年9月2日。オリジナルの2004年9月4日時点におけるアーカイブ。2025年2月7日閲覧。
  7. ^ 毎日新聞』2008年2月1日 東京夕刊 政治面1頁「死刑執行:3人に執行 法務省が氏名公表」(毎日新聞東京本社
  8. ^ 南日本新聞』2020年12月12日朝刊一面1頁「日置5人殺害 I被告死刑判決 完全責任能力認める 鹿地裁裁判員 初の極刑」(南日本新聞社)
  9. ^ a b c d e f 『読売新聞』2002年8月17日 全国版 西部朝刊 社会面31頁「初盆トラブル?鹿児島・伊仙の母娘刺殺 容疑の義弟逮捕 「欠席責められ」」(読売新聞西部本社)
  10. ^ a b c 『南日本新聞』2004年6月18日夕刊1頁「伊仙町母子殺傷 被告に死刑判決、39年ぶり鹿地裁極刑。矯正は困難」(南日本新聞社)
  11. ^ a b M死刑囚ら3人の刑を執行」『YOMIURI ONLINE読売新聞社、2008年2月1日。オリジナルの2008年2月1日時点におけるアーカイブ。 - 同紙2008年2月1日東京夕刊一面1頁にも同様の記事が掲載されている。
  12. ^ 年報・死刑廃止 2022, p. 226.
  13. ^ a b c d e f g 『毎日新聞』2002年8月17日 東京朝刊 社会面23頁「徳之島 母娘刺され死亡 息子も重体 容疑の義弟逮捕--鹿児島・徳之島」(毎日新聞東京本社)
  14. ^ 『南日本新聞』2002年11月7日朝刊25頁「伊仙町母子殺傷 被告起訴事実認める」(南日本新聞社)
  15. ^ 『読売新聞』2002年8月18日 全国版 西部朝刊 社会面35頁「徳之島の母子死傷事件 容疑者「自宅から包丁」/鹿児島」(読売新聞西部本社)
  16. ^ 『毎日新聞』2002年8月17日 西部夕刊 社会面7頁「鹿児島・徳之島の母子殺傷 最初に二男襲う--自宅から包丁持ち出し」(毎日新聞西部本社
  17. ^ 『毎日新聞』2002年9月7日 西部朝刊 社会面27頁「鹿児島・徳之島の母子殺傷 叔父を起訴--地検」(毎日新聞西部本社)
  18. ^ a b 『読売新聞』2002年11月7日 鹿児島 西部朝刊 鹿児30頁「伊仙町の3人殺傷事件初公判 被告、起訴事実認める 地裁=鹿児島」(読売新聞西部本社)
  19. ^ 『毎日新聞』2002年11月6日 西部夕刊 社会面7頁「鹿児島・徳之島3人殺傷 起訴事実認める--地裁初公判」(毎日新聞西部本社)
  20. ^ a b 『朝日新聞』2003年7月31日 西部朝刊 鹿児島1地方版31頁「母子3人殺傷の被告に責任能力ありと鑑定 鹿児島地裁 /鹿児島」(朝日新聞西部本社)
  21. ^ a b c 『読売新聞』2003年11月6日 鹿児島 西部朝刊 鹿児34頁「伊仙町の母子3人殺傷事件公判 「弟を極刑に」地裁=鹿児島」(読売新聞西部本社)
  22. ^ 『毎日新聞』2003年11月6日 西部朝刊 社会面23頁「妻子殺傷された兄が法廷で訴え「もう弟だとは思わない。死刑望む」--鹿児島地裁」(毎日新聞西部本社)
  23. ^ 『読売新聞』2004年3月6日 鹿児島 西部朝刊 鹿児32頁「伊仙・母子3人殺傷公判 遺族の心境つづる調書、検察が朗読 地裁=鹿児島」(読売新聞西部本社)
  24. ^ 『朝日新聞』2004年3月26日 西部夕刊 第一社会面11頁「母子殺傷で死刑求刑 鹿児島・徳之島の事件【西部】」(朝日新聞西部本社)
  25. ^ 『毎日新聞』2004年3月26日 西部夕刊 社会面11頁「姉ら3人殺傷の被告に、死刑求刑--鹿児島地裁」(毎日新聞西部本社)
  26. ^ 『朝日新聞』2004年6月19日 西部朝刊 第二社会面34頁「母子3人殺傷の被告に死刑 鹿児島地裁判決【西部】」(朝日新聞西部本社)
  27. ^ 『朝日新聞』2004年6月29日 西部朝刊 第三社会面29頁「死刑判決の被告控訴 鹿児島【西部】」(朝日新聞西部本社)
  28. ^ 『読売新聞』2004年6月29日 全国版 西部夕刊 夕社会面9頁「徳之島母子殺傷 死刑被告が控訴」(読売新聞西部本社)
  29. ^ a b 『朝日新聞』2004年9月2日 東京夕刊 第一社会面15頁「控訴取り下げ、死刑判決確定 鹿児島・徳之島母子殺傷」(朝日新聞東京本社
  30. ^ 『読売新聞』2008年2月1日 全国版 東京夕刊 夕一面1頁「死刑3人執行 12月以来、今回も氏名公表/法務省」(読売新聞東京本社
  31. ^ 法務大臣鳩山邦夫法務大臣臨時記者会見の概要(平成20年2月1日(金))』(プレスリリース)法務省、2008年2月1日。オリジナルの2011年3月23日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20110323085540/http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/kaiken_point_sp080201-02.html2011年3月23日閲覧  - 本事件の死刑囚Nらの死刑執行を発表した記者会見。

参考文献

関連項目




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