2004年春の暴動
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「デルビー・デッラ・カピターレ」の記事における「2004年春の暴動」の解説
2004年3月21日にオリンピコで行われたダービーは0-0でハーフタイムを迎えたが、後半開始の4分後に中止となった。暴動はスタンドから発生し、イタリアサッカーリーグのアドリアーノ・ガッリアーニ(Adriano Galliani)会長はロベルト・ロセッティ主審に試合を延期するよう指示した。 いつも通りの発煙筒での交戦を含むこの暴動は、スタジアムの外で警官の乗った車が少年を殺したという噂が広まったことで始まった。ASローマのウルトラスのリーダー格の3人がグラウンド上に乗り込み、ASローマのキャプテンのフランチェスコ・トッティにこの噂を伝えた。しかし実際は噂とは異なり、スタジアムの最後尾の座席で何人かがフィルターのように横たわって少年を取り囲み、催涙ガスを吸って呼吸困難に陥った少年を助けようとしていただけであった。警察は観客に向かって噂を否定したが、疑惑の目を完全に取り除くことはできなかった。ガッリアーニ会長が主審の携帯電話に電話して試合の延期を指示した。 試合が延期された後のスタジアム周辺の通りでは、車が燃やされるなどの大きな混乱が起こった。13人のサポーターが逮捕されて170人以上のサポーターが負傷し、警官も1人が負傷した。この試合は4月21日に再開され、観衆の間に混乱などはなく1-1の引き分けに終わった。
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