ちゅうおう‐けいば〔チユウアウ‐〕【中央競馬】
ちゅうおうけいば(中央競馬)
中央競馬
中央競馬(JRA)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/16 01:50 UTC 版)
「ウイニング・チケット (漫画)」の記事における「中央競馬(JRA)」の解説
石関 一馬 中央競馬のトップジョッキー。父も天才と言われたジョッキーであり、自身も周囲から天才と評価されている。その実績や騎手としては長身である事など、武豊をモデルとしている節がある。 作中では二階堂のライバルであるエドワードの馬に騎乗する機会が多かったために立場としては敵対関係にあったが、ベンジャミンステークスで中央初挑戦となる木戸に気さくに話しかけるなど、フェアプレー精神を持つ面倒見のよい人物である。そのため、作中ではヨシムネを予後不良に追い込んだ白木の騎乗を激しく咎めるなど、敵役ながらも結果的には駿サイドに利をもたらすような振舞いも目立った。 白木 元(はじめ) 中央競馬の騎手。表情に乏しいことから「サイボーグ」と呼ばれている。 デイリー杯2歳ステークスでヨシムネを予後不良にさせたり、馬群の狭い隙間を割って入ろうとするなどのラフなプレーが多く、騎乗停止の常習犯である。これは数年前のフランス留学で日本流の騎乗スタイルがまるで通用しない事を痛感し、最短距離で馬を走らせる事、そして勝つ事を重要視するヨーロッパ流のスタイルを信条とするようになったことによる。 ストイックにトレーニングをこなして筋力アップしている。このため、馬をまっすぐ走らせること、バテた状態からもうひと踏ん張りさせることにかけては、日本人でもトップクラスの技量を持つ。 また朝日杯FSではヨレてキンタと接触しそうになったブラボーライバルを全身を傾けて強引に進路を修正するなど、アクシデントに即座に対応するセンスも非常に優れている。 父である中の怪我の重さに全く気づかず(本人が元に気づかせないように生活していたのが大きいが)、成績が落ちぶれてなお騎手の職にしがみついていた中を激しく軽蔑し、果ては中に対し面と向かって「早く引退しないのか?」などと悪態をついていた。しかし朝日杯後に実家を訪れた際に初めて中の怪我の重さと現役にこだわっていた理由を祖母から聞いた元は、中の実力に感服すると共に仏前で謝罪した。また、この日から再び実家で暮らし始めた。 若手の頃から騎手業の多忙の合間に北海道の牧場を回り、時に主取りとなった馬などが売れるよう推薦するなど、人知れず業界への貢献をしていた。白木のおかげで主取り馬が売れた牧場主の一人は、白木を「馬を見てわかる騎手」と評していた。 年明けに二階堂ファームを訪れ、朝日杯FSでヨシムネを落馬転倒させた件を駿たちに謝罪した。その際駿は、白木をミカヅキオーの主戦騎手とし片っ端から重賞を勝ってもらう事を償いとして提案し、白木はこれを承諾した。 IIでは小石川厩舎に転厩したキンタの主戦騎手となっている。 単行本16巻で木戸を弟子であると本人も認めている(佐伯も木戸を弟子であると認めている)。 白木 中(あたる) 白木元の父。デビュー年に新人賞を取り、20代の頃まではみるみる勝ち星を量産していた天才騎手だったが、元が生まれた頃の落馬事故によって再起不能と言われるほどの大怪我をした。が、騎手になりたいと言いはじめた元のため、騎乗を身体的負担の少ないソフトなスタイルに変え、それでも避けられない激痛と戦いながら、小石川調教師と母親以外には誰にも怪我を悟らせずに騎手を続けた。 元が騎手になって数年後、引退をかけての大一番として臨もうとした宝塚記念を前に、交通事故により帰らぬ人となった。 植木 修(おさむ) 中央競馬の騎手。小石川(二代目)厩舎所属。先代の小石川政男厩舎時代は白木元の兄弟子だったベテラン。ミカヅキオーの宝塚記念挑戦の時期において駿らを上回る登場機会があり、宝塚記念編の主人公ともいえる立場だった。 石関がスターとなってからもトレセン内ではダントツの評価を得ていた程の実力派だったが、10年前のダービーが原因で深刻なスランプに陥り、以後重賞クラスのお手馬を自ら他の騎手へ回すようになった。これによりたまに騎乗する大きなレースで負け続けては馬主の信頼を失う悪循環が続き、一時期は酒に溺れてしまうまでになっていた。 そのため10年前にピークを過ぎた“早咲きの天才”との評価が世間では定着しており、実際にリーディングも50位以下と、すっかり三流のロートル騎手といった立場に落ち着いていた。だが弟弟子として植木の本当の力を間近で見てきた白木は現在も彼を密かにヒーロー視し続け、復活を願っていた。 久々の再会となった白木と一緒に併せ馬をしていた最中、白木の乗る馬が突然暴れてしまい、白木は落馬、骨折してしまう。白木が自分の怪我を利用して一計を案じたことにより、急遽宝塚記念でミカヅキオーの鞍上に抜擢されることとなった。 40歳にして片腕で懸垂を行える剛腕に加え、宝塚記念では、ラチ沿いすれすれを走らせ続ける技術、落鉄の予兆を感じ取って大惨事を回避する鋭敏な感覚などを見せ、今もなおあらゆる面でトップクラスの実力である事を示してミカヅキオーの初GⅠ制覇に貢献した。 息子の鉄男は小・中と周りに競馬関係者の子供も多い学校に通っていて、植木の成績不振のせいで長い間いじめに遭っていた。が、柔道や勉強で結果を出して自身を権威づけする事で中学3年生時にたった一人でいじめを克服、茨城一の進学校に進学した。その経験から、植木が宝塚記念に出発する直前に交わした会話の中で、植木が精神的に立ち直る決め手となる発言をした。 宝塚記念の表彰式で引退を宣言したが、鉄男、ファンの叱咤によって撤回し、現役続行を表明。以後はかつての植木が戻ったと評判になって騎乗依頼も殺到しているとの事。 IIでは朝日杯フューチュリティステークスでスーパーイチマルに騎乗している。 虎谷 幸一(とらたに こういち) 虎谷翔の父で、東京で土建業『虎谷建設』を営む兼業馬主。態度や行動は常に豪快で、曲がった事を激しく嫌い受けた恩には何としても報いようとする、江戸っ子気質を地で行く人物。 当初は息子の翔に重傷を負わせた駿に激怒し、駿の馬主資格を剥奪しようとさえする強硬姿勢を見せた。しかしその直後、事の発端が翔らの行動でミカヅキオーを骨折させた事にあると知るや、一転して自らも翔を殴りつけたうえ駿に謝罪。最終的には翔が「一人で階段で転んだ」と言い出したのに便乗し、親子で事件をもみ消した。 ミカヅキオーの骨折を大きな借りと考え、ヨシムネの譲渡を持ちかけたり、持ち馬を預けたり、さらには東京から多くの社員を連れて坂路コースの建設に加勢するなど、度々二階堂ファームや駿を助けた。 地元では『土建屋の虎幸』で名が売れているが、本業の評判に反して馬主としての成績は全く振るわず、『500万下の虎幸』と揶揄されてさえいた。馬主を辞めようとしていた折にヨシムネと出会い、紋別畜産から購入して所有する。ヨシムネの活躍で初めてオープン馬のオーナーとなりキンタの共同所有で重賞、GI馬オーナーになった。 ヨシムネを亡くしたショックで馬主を辞める決意を固めたものの、後日、翔の叱咤や駿からキンタの共同所有を持ちかけられてこれを承諾、馬主業を続ける事にした。 初めての重賞の口取りは紋付袴で参加すると決めていて、キンタによってその念願が叶った後も、大レースで競馬場に出向く際はほぼ常に紋付袴を着ている。 駿が中央馬主登録申請をするにあたり二名必要となる現役馬主の推薦人の一人となった。主な所有馬ヨシムネ(父 ブラックマズル) キンタ(二階堂駿と共同所有) 藤原 馬商時代の駿の得意先だった中央の馬主。穏やかな物腰で懐が広い。 駿の中央馬主登録申請にあたり推薦人の一人となった。その際、ミカヅキオーの生産者である山田牧場に駿らを連れ、馬主の責任の重さについて説いた。 日本の馬で国内外のGⅠを勝ちたいという夢を持っている。そのためウイニング・スタッド主催の外国産馬セリへは、開催を知りつつもあえて行かなかった。主な所有馬キタノトケイダイ 熱海 自社ビルを持つ大企業の社長で、兼業馬主。非常に小柄な老人。 団や稲村の頼みや忠告にも耳を貸さずに、自分の一存でロデオを中央に移籍させた件など、最初は人の良さそうな振る舞いをするも、じきに手の平を返したように傲慢な本性を現す。 キンタのラベンダー賞優勝後、5年前に団に殴られた際の診断書をネタに、キンタの函館2歳ステークス出走を取り消すよう団に脅しをかけた。その後団は馬を優先して調教師を辞める決意をしたが、キンタが出走を取り消していない事で再度団に会い脅しをかけた際、一丸がそのやりとりを録音していた事で形勢が一変し、団への脅迫については断念した。 そのかわりに今度は駿へと矛先を向け、2006年セレクトセールのセリでは部下の石井を代理に潤沢な資金を惜しげなくつぎ込んで駿が狙った馬を競り落とし、駿に容赦ない洗礼を浴びせた。 馬に対しても全く愛着を持っている様子はなく、経済動物以上には考えていない事がうかがえる。デイリー杯2歳ステークスではヨシムネを予後不良に追い込み、殺処分直後にもかかわらずただ一人高笑いした。主な所有馬サイバーアタミオー ブラボーライバル 小石川 政男 JRAの調教師。定年のため2006年末をもって引退。某ベテラン俳優に風貌が似ている。 引退記念パーティーにはかつての所属騎手だった白木元も呼んでおり、そこでも公然と父親の中を見下す発言をする白木に怒って殴り、白木の中に対する誤解を解くきっかけを作った。 小石川 小石川政男の息子で、現役のJRA調教師。父親と似た風貌をしている。IIでは二階堂ファームの中央での主戦厩舎である。 大柄 10年前の皐月賞馬マッカートニーのオーナーで、その当時JRAに100頭以上の馬を所有していた大馬主だった。白木によって10年前の植木との一件に関して語られたが本編に直接登場した事はなく、現在はどうなっているか不明。 良くも悪くもダービーを特別視していて、マッカートニーの臆病でパニックを起こしやすい気性に不安をおぼえた植木がダービーでの作戦変更を哀願しても、それに全く耳を貸さなかったばかりか、逆に脅迫めいた言い方で植木に逃げる作戦を強要した。 ダービー後に入院中の植木の見舞いには訪れたが、そこで植木に辛辣な言葉の数々を浴びせた。そののちに植木が所属する小石川厩舎の所有馬を全て転厩させ、さらに植木を非難するあらぬ噂を他の馬主達に吹聴して回った。
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