ゴシック【Gothic】
ゴシック 【Gothic】
ゴシック
ゴシック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/25 15:14 UTC 版)
ゴシック (英: Gothic) は、もともと12世紀の北西ヨーロッパに出現し、15世紀まで続いた建築様式を示す言葉である。
- ^ 現代の歴史学ではそのような歴史観は修正されている。
- ^ メアリー・シェリーが書いたゴシック・ロマンス『フランケンシュタイン』(初版1818年)の中でヴィクター・フランケンシュタインが創造した怪物。
- ^ イギリスのゴシック小説において吸血鬼をモチーフとした散文作品はジョン・ポリドリの『吸血鬼』(1819年)を嚆矢とする。その後もホラーノベルのジャンルでシェリダン・レ・ファニュの『カーミラ』(1872年)、ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』(1897年)といった吸血鬼小説が書かれている。
- ^ 樺山紘一「ゴシック」『世界大百科事典』(改訂新版)平凡社、2007年。
- ^ 沙月 2008, p. 34
- ^ 柳 2008, p. 122
- ^ J・ル=ゴフ 『中世とは何か』 池田健二・菅沼潤訳、藤原書店、2005年、77-78頁。
- ^ a b 小谷 2005, p. 35
- ^ 酒井 (2000), pp. 9-10.
- ^ 酒井 (2000), pp. 10-11, 130-131.
- ^ 酒井 (2000), p. 10.
- ^ 杉山ら (2000)[要ページ番号]
- ^ a b c 『PUNK ROCK STANDARDS - THE GREATEST PUNK DISCS FOR 30 YEARS』 TOKYO FM出版、2006年、86頁(筆者=石橋和博)。
- ^ レイノルズ (2010), p. 283.
- ^ 木村 (2007), p. 24.
- ^ a b レイノルズ (2010), p. 281.
- ^ 木村 (2007), pp. 24-25.
- ^ a b レイノルズ (2010), p. 282.
- ^ レイノルズ (2010), p. 291.
- ^ 『ハード&ヘヴィ - ハード・ロック/ヘヴィ・メタルCDガイド600』 音楽之友社、1995年、192頁(筆者=行川和彦)。
ゴシック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 14:59 UTC 版)
組織のボス。普段は姿の見えないほどの闇の中から指令を出し、常に仮面を身に付けている。干支銃と星座銃を探すため、組織の人間にアメリカ中の奇銃を集めさせている。
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ゴシック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 02:04 UTC 版)
ゴシック期にはさらに塔に注力が注がれ、教会建築として多数の塔がヨーロッパ各地に建設された。特に西構えに2つの双塔を持つ形式が目立つようになる。塔は上昇性を強調するような工夫が施された。塔の開口部分は縦長になり、塔の上部を絞り込んだ尖塔が備え付けられるようになった。 ゴシック様式は、その装飾がキリスト教を視覚的に要約したものともいえるが、塔は天上への掛け橋のイメージと鐘塔としての機能を併せ持った。またこの時期、ヨーロッパ各地で教会の塔の高さを競う争いも生じた。 双塔の顕著な例としては、フランスではノートルダム大聖堂(パリ大聖堂)・アミアン大聖堂・ラン大聖堂・ランス大聖堂・シャルトル大聖堂などがある。 シャルトル大聖堂のファサードの右側が1140年から建つロマネスク様式の角錐塔、左が16世紀に建てられた後期ゴシックの塔が建てられた。 ストラスブール大聖堂(1190- 1439年)のファサードは、単塔ながら高さ142m。赤色の砂岩で造られており、独特の印象を与えている。 ドイツのゴシック期の教会塔としては、ケルン大聖堂(1248- 1880年)やウルム大聖堂(1377- 1890年)などが著名である。ケルン大聖堂は双塔形式でその高さは157mに達した。さらに、ウルム大聖堂の西構えの塔は161mでゴシック期で最も高い。また、ミラノ大聖堂(1386年-1813年)の場合、高い塔は存在しないものの、135基のピナクル(小尖塔)が設けられた。 一方フランスでは、巨大化するゴシック様式の建築に反発するかのように「レイヨナン式」と呼ばれる小規模な聖堂も出現した。パリのアルビ大聖堂(1282年-1385年)はその一例であるが、ここでも高い塔が確認できる。 キリスト教における宗教建築としての塔とは別に、世俗的な塔の建設も目立った。 イタリアのサン・ジミニャーノは、丘の上にある塔の町である。貴族が教皇派と皇帝派に分かれて競い合い、互いに権力を誇示するため、次々に塔を建設していった。最盛期にはその数72という乱立ぶりであったと伝えられる。やがて町そのものの勢いが衰え、塔は数を大きく減らしたが、それでもなお多くが後世に残された。この塔の立ち並ぶ景観は「サン・ジミニャーノ歴史地区」として世界遺産に登録されている。当地の場合、軍事目的や宗教的意義をもって塔が築かれていたわけではない。世俗的なシンボルとして塔の建設競争が繰り広げられたという点で、他には無い独自性を持っている。 ベルギーのフランデレン地域とワロン地域では、自治権を獲得した都市が街の広場の中心に教会とは独立して鐘塔を建設していった。「ベルギーとフランスの鐘楼群」として世界遺産にも登録されている。 他方、軍事目的をもって築かれた城塞にも特徴的な塔が造られた。十字軍が建設したクラック・デ・シュヴァリエ(12- 13世紀初頭)を始め、フランスのガイヤール城(1196年)やクシー城なども代表的なものとして挙げられる。
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ゴシック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 16:03 UTC 版)
「ゴシック・アンド・ロリータ」の記事における「ゴシック」の解説
「ゴシック」(Gothic)とは、「ゴート族風の」という意味で、「野蛮・残酷」を意味する語である。
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ゴシック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:41 UTC 版)
詳細は「ゴシック美術」を参照 ゴシック時代は基本的にゴシック建築によって定義されており、その始点も終点も彫刻における様式の発展とは完全に適合していない。大きな教会、特に扉周辺のファサードは大型のティンパヌムを持ち続けたが、その周囲にも人物彫像の列が広がっていった。シャルトル大聖堂の西側表玄関の彫像(1145年頃)は優雅ながら柱状の伸長を誇張して見せているが、南側袖廊玄関の彫像(1215-1220)はもっと自然主義的な様式で背後の壁からの剥離が大きく、古典的な伝統の意識も若干見られる。これらの傾向は数年後レミ大聖堂の西側表玄関で継続され、そこでは人物像がほぼ丸彫りになり、ゴシックがヨーロッパ全土に広がるにつれて一般的となった イタリアではニコラ・ピサーノと息子ジョヴァンニがしばしばプロト・ルネサンスと呼ばれる様式を発展させ、これはローマ石棺からの洗練された群衆構成の紛れもない影響を受けたもので、シエナ大聖堂説教壇(1265-68年)、ペルージャにあるマッジョーレ噴水 (Fontana Maggiore) 、ジョヴァンニによるピサ大聖堂説教壇(1301年)のレリーフに見られる。もう一つの古典様式の復活は、1400年頃のフランスにおけるクラウス・スリューテルとその弟子による国際ゴシック様式の作品に見られる。後期ゴシック彫刻は非常に大きな木製祭壇の流行と共に北部で継続し、名工の彫刻と多数の表情豊かな人物像が増えていった。その多くが様々な場所で偶像破壊され、最も多くの現存作品はドイツにある。ティルマン・リーメンシュナイダー、ファイト・シュトースなどは16世紀に入ってからイタリアのルネサンスの影響を徐々に吸収した 石やアラバスターでできた墓の等身大肖像は富裕層で人気を博し、壮大な複数段差のある墓は進化して、ヴェローナのスカリジェレ家の霊廟は教会の外に移動させなければならないほど大きかった。15世紀までに、石の飾壁を買う余裕のない節制する教区向けに、ヨーロッパの大部分を占める英国ノッティンガム産アラバスターの祭壇レリーフを輸出する産業があった。主に俗人向けで多くの場合女性市場向けの小型彫刻が、パリや他幾つかの中心地で結構な産業となった。象牙彫刻の種類には、礼拝の小さな多翼祭壇、聖母子像、鏡匣、櫛、ロマンス文学の情景を描いた棺 (Casket with Scenes of Romances (Walters 71264)) など、結納品として贈呈されたものが含まれた。超富裕層は、デュック・ド・ベリーのホーリー・ソーン聖遺物箱みたいな宝石と琺瑯を精緻にちりばめた世俗的かつ宗教的な金属作品を蒐集し、お金が足りなくなるとそれを溶かして再び現金にした。 シャルトル大聖堂の西側表玄関(1145年頃) シャルトル大聖堂の南側表玄関(1215-1220年) レミ大聖堂の西側表玄関、受胎告知の一団 ニコラ・ピサーノ作、ピサ大聖堂説教壇より『降誕』と『マギの礼拝』 『バンベルクの騎士』1237年。ほぼ等身大の馬術石像としては古代以降で最初のもの ウォルターズの棺 (Casket with Scenes of Romances (Walters 71264)) の蓋、1330-1350年 鏡匣上部の『Siege of the Castle of Love』1350-1370年。ルーブル美術館所蔵。 ドイツ中部のピエタ像、1330-1340年 クラウス・スリューテル作『Well of Moses』より、ダビデと預言者 ホーリー・ソーン聖遺物箱の底部『死者の復活』、金と琺瑯と宝石からなる 祭壇パネルの一部にある『キリストの復活』1450-1490年。彩色跡のある英国彫刻 (Nottingham alabaster) ティルマン・リーメンシュナイダー作『聖血の祭壇』より最後の晩餐部分、1501-1505年。ローテンブルク・オプ・デア・タウバー(ドイツ)
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ゴシック (Gothic)
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「レタリング」の記事における「ゴシック (Gothic)」の解説
日本字のゴシック体とは意味が異なり、ブラックレター(Blackletter)を指す。クリスマスや結婚式の時などに好んで使われる書体。大文字に装飾が多いため、意図的な場合を除き、大文字だけを並べて使うことは無い。
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ゴシック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 22:29 UTC 版)
ゴシック様式は、12世紀半ばからイル・ド・フランスを中心に形成された建築様式であり、大都市のカテドラルにおいて、その典型例を見つけることが出来る。 15世紀のロートアイアンは、常温で鉄を加工していたため、木や石の装飾に比べ、デザインに限りがあり、シンプルである。ヨーロッパ全土に受け入れられたゴシック様式とともに、全ヨーロッパへ鉄工芸が伝播していったのである。
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ゴシック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 07:41 UTC 版)
男性服は長く裾引く衣装から、突然短く活動的な衣装へ移行する。コタルディという尻丈の短い前開きで、二の腕までのぴったりとした袖に大きく刳った襟ぐり(デコルテ)の衣装が流行した。この軽快な衣装はイタリアの若者の衣服から輸入され、後にプールポワン、ダブレットまたはジャケットと呼ばれる。女性のコタルディは同じくぴったりした袖に広い襟ぐりだが、引き裾で、スカートがゆったりと広がるように裾にマチが入っていた。シュールコーはほっそりした体形がよく見えるように、脇を大きく刳った。 1340年前後 1390年代 1450年頃
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ゴシック (Gosick)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 01:54 UTC 版)
「ゴシック (曖昧さ回避)」の記事における「ゴシック (Gosick)」の解説
GOSICK -ゴシック- - 桜庭一樹のライトノベル、テレビアニメ。 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えて下さい。
※この「ゴシック (Gosick)」の解説は、「ゴシック (曖昧さ回避)」の解説の一部です。
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「 ゴシック」の例文・使い方・用例・文例
- これはゴシック様式の有名な一例です
- それはゴシック式教会の代表的な建物です
- それは典型的なゴシック式教会です。
- その教会はゴシック風の建築である。
- ゴシック美術.
- ゴシック様式の大聖堂.
- ゴシック小説, 怪奇小説.
- ゴシック体の文字で.
- ノートルダムはゴシック建築を代表する建物である.
- チューダー朝建築様式 《英国ゴシック式最後期の建築様式で, 特に垂直様式の最末期》.
- ゴシック美術は 13 世紀にその最盛期を迎えた.
- 「フランケンシュタイン」のようなゴシック小説
- 建築におけるゴシック建築の復活
- その建築は、ゴシック建築であることを示唆したが、真のゴシックではない、言わば一種の出来損ないだった
- 北フランスのゴシック大聖堂
- ゴシック移動
- ゴシック聖書翻訳
- (ゴシックアーチの内輪のように)2つの交差する円弧で形成される点
- 槍のように鋭く先のとがったゴシックアーチ
- 西暦1000年の後、ローマ様式とゴシック・スタイルの間でイタリアと西ヨーロッパで発展した建築物の様式
ゴシックと同じ種類の言葉
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