ガイヤール‐じょう〔‐ジヤウ〕【ガイヤール城】
ガイヤール城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/04 14:00 UTC 版)
コミューンの最も華麗な記念物は、疑うまでもなくノルマンディー公のガイヤール城である。現在城は、セーヌ川を見下ろす廃墟となっている。城からは広い谷とセーヌ川の大きな屈曲部が、妨げるものなしに見渡せる。 12世紀後半、ノルマンディーを領有していたのはイングランド王家であるプランタジネット家で、フランス王国はセーヌ川やそこから海への交通を握る豊かな土地を常に目に捉えていた。代々のノルマンディー公たちはこの戦略的要所を守るため、対フランス国境地帯に一連の城を建設した。これは公国の首都たるルーアンを守るためでもあった。 エプトの要所がフランスの手に一部落ちると、リチャード獅子心王は1196年にガイヤール城の建設を始めた。そこはセーヌ川の石灰岩質の崖の上であった。この位置は難攻不落であると考えられていた。フランス艦隊がセーヌ川を下るのを阻止するため、川床に3列の杭が打ち込まれた。伝説によると、ガイヤール城は1年で完成したという。1197年、リチャード王は『私の1歳の娘はなんと美しいことか!』と言ったとされる。 リチャード王没後、フランス王は遠征を指揮し、ついに1204年に落城させた。ガイヤール城の落城の知らせは公国に衝撃を与えた。セーヌ川航行が自由になったことを意味したからである。そのわずか数か月後、首都ルーアンは陥落し、約293年続いたノルマンディー公国の独立は終焉を迎え、フランスに併合された。 修復されたガイヤール城は牢獄とされていたが、百年戦争中の15世紀、16ヶ月もの包囲戦の末イングランド軍が制圧した。
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