ブランシュ・ド・ブルゴーニュとは? わかりやすく解説

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ブランシュ・ド・ブルゴーニュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 14:18 UTC 版)

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ブランシュ・ド・ブルゴーニュ
Blanche de Bourgogne
フランス王妃
ナバラ王妃
在位 1322年1月3日 - 5月19日

出生 1296年
死去 1326年4月29日
フランス王国サン=トゥアン=ロモヌ、モビュイソン女子修道院
結婚 1308年2月2日 エスダン
配偶者 フランスシャルル4世
子女 フィリップ
ジャンヌ
家名 アンスカリ家(シャロン家)
父親 ブルゴーニュ伯オトン4世
母親 アルトワ女伯マティルド
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ブランシュ・ド・ブルゴーニュ(Blanche de Bourgogne, 1296年 - 1326年4月29日)は、フランス王シャルル4世の王妃。ブルゴーニュ伯オトン4世とアルトワ女伯マティルドの娘として生まれる。姉ジャンヌは夫の兄フィリップ5世の王妃。

生涯

1308年、シャルルとエスダンで結婚した。

1314年に発覚した不倫スキャンダルにより、王太子ルイ(後のルイ10世)妃マルグリット、姉ジャンヌとともに捕らえられ、ガイヤール城に幽閉された。彼女は身の潔白を訴え続けるが、シャルルは決して許さず、そのまま幽閉を続行させた。姉ジャンヌのみ許されて宮廷に戻り、ルイ10世の即位に伴い幽閉されたまま王妃となったマルグリットは翌年死去した。

1322年にシャルル4世が即位するとともに、マルグリットと同様に幽閉されたまま王妃となるが、同年5月にローマ教皇ヨハネス22世から結婚の無効が許可されたため、称号は剥奪された。ポントワーズ近くのモビュイソン女子修道院で幽囚の身のまま1326年に死去した。1男1女をもうけていたが、幽閉中にいずれも夭逝した。

脚注






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