ジャンヌ2世_(ブルゴーニュ女伯)とは? わかりやすく解説

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ジャンヌ2世 (ブルゴーニュ女伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 14:55 UTC 版)

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ジャンヌ2世・ド・ブルゴーニュ
Jeanne II de Bourgogne
フランス王妃
ナバラ王妃
在位 1316年11月19日 - 1322年1月3日
別称号 ブルゴーニュ女伯
在位:1315年 - 1330年1月21日
アルトワ女伯
在位:1329年1322年11月27日 - 1330年1月21日

出生 1291年
死去 1330年1月21日
アルトワ伯領、ロワ=アン=アルトワ
埋葬 フランス王国サン=ドニ大聖堂
結婚 1307年1月21日 コルベイユ
配偶者 フランスフィリップ5世
子女 ジャンヌ
マルグリット
ほか一覧参照
家名 アンスカリ家(シャロン家)
父親 ブルゴーニュ伯オトン4世
母親 アルトワ女伯マティルド(マオー)
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ジャンヌ2世・ド・ブルゴーニュ(Jeanne II de Bourgogne, 1291年 - 1330年1月21日)は、フランスフィリップ5世の王妃。父はブルゴーニュ伯オトン4世、母はアルトワ女伯マティルド(マオー)。妹ブランシュは夫の弟シャルル4世の王妃。ブルゴーニュ女伯(在位:1315年 - 1330年)およびアルトワ女伯(ジャンヌ1世、在位:1329年 - 1330年)でもあった。

生涯

1307年、フィリップ4世の次男ポワティエ伯フィリップ(後のフィリップ5世)と結婚した。2人の間には1313年までに1男4女が生まれた。

1314年、夫の妹イザベルの密告により、姦通の罪で王太子ルイ(後のルイ10世)妃マルグリット、妹ブランシュとともに捕らえられ、ジャンヌはドゥルダンへ幽閉された。ジャンヌは己の潔白を主張し続け、ジャンヌら姉妹の母マティルドの奔走も加わり、パリの法廷で彼女の無罪が宣言され、3人のうち彼女だけが許されて宮廷へ戻った。彼女だけが、夫との間に信頼関係が築かれていたためだともいえる。

幽閉による空白はあったものの、ジャンヌとフィリップにはその後1男1女が生まれたが、どちらも夭折した。

  • ルイ(1316年 - 1317年)
  • 女子(1322年)

1302年に父オトンが死ぬと、爵位はその唯一の男子であった幼い弟ロベールが継いだ。1315年にロベールが早世すると、オトンの娘のうち最年長であったジャンヌが伯位を継承した。1329年には母の爵位も継いでブルゴーニュ女伯兼アルトワ女伯となった。

1322年に夫と死別後、ジャンヌは宮廷を出て自分の領地で暮らした。1330年にロワ=アン=アルトワで亡くなり、遺体はサン=ドニ大聖堂の夫の隣に葬られた。

パリの大学コレージュ・ド・ブルゴーニュはジャンヌにちなんで名付けられた。

先代:
ロベール
ブルゴーニュ女伯
1315年 - 1330年
次代:
ジャンヌ3世
先代:
マティルド(マオー)
アルトワ女伯
1329年 - 1330年
次代:
ジャンヌ2世



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