新日本石油/del20100414とは? わかりやすく解説

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新日本石油/del20100414

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/04/03 16:07 UTC 版)

新日本石油株式会社
NIPPON OIL CORPORATION
種類 株式会社
市場情報
東証1部 5001 2010年3月29日上場廃止
大証1部 5001 2010年3月29日上場廃止
名証1部 5001 2010年3月29日上場廃止
札証 5001 2010年3月29日上場廃止
福証 5001 2010年3月29日上場廃止
略称 新日石、NOC、ENEOS
本社所在地 日本
〒105-8412
東京都港区西新橋一丁目3番12号
(新日本石油ビル)
設立 1888年(明治21年)5月10日
(有限責任日本石油会社)
業種 石油・石炭製品
事業内容 石油製品および石油化学製品の販売
代表者 西尾 進路(代表取締役社長
資本金 1394億37百万円
売上高 連結:7兆3892億円
単独:6兆6580億円
(2009年3月期)
総資産 連結:3兆9697億円
単独:2兆8868億円
(2009年3月31日現在)
従業員数 連結:13,692名 単独:2,454名
(2009年12月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 JXホールディングス 100%
主要子会社 新日本石油精製 100%
新日本石油開発 100%
NIPPOコーポレーション 57.2%
日本石油輸送 29.4%
京極運輸商事 26.8%
日新商事
関係する人物 渡文明(前社長・現会長)
外部リンク http://www.eneos.co.jp/
  

新日本石油株式会社(しんにほんせきゆ、英文社名 : Nippon Oil Corporation)は、石油製品石油化学製品の販売を行う、日本石油元売最大手の企業である。略称は「新日石」や「NOC」など。

グループで合計8か所の製油所を保有し、系列のサービスステーション(ガソリンスタンド)は国内におよそ9,579か所(2010年2月末現在)ある[1]1888年(明治21年)に創業し、2002年(平成14年)に現社名になった。

2001年(平成13年)に制定されたサービスステーションのブランド名「ENEOS」(エネオス)は、「ENERGY」(エネルギー)と、ギリシア語で「新しい」意を表す「NEOS」を組み合わせた造語である。現在のキャッチコピーは、「エネルギーを、ステキに。ENEOS」。

目次

概要

新潟県にあった尼瀬油田の石油開発ブームを受けて創立された有限責任日本石油会社が前身。1999年(平成11年)に日本石油と三菱石油が合併し日石三菱株式会社(にっせきみつびし、略称・NMOC)が発足、2002年(平成14年)に同社は新日本石油に社名を変更した(略称は新日石、英文社名は、合併前の日石のものに復した)。

石油元売の一つであるコスモ石油とは業務提携関係にあり、原油調達・石油精製・物流潤滑油の各部門で1999年より提携している[2]2004年(平成16年)には、互いに相手方の対象特許を使用して燃料油の製造・販売することを可能とするクロスライセンス契約を締結した[3]。これらのほか、2002年(平成14年)にはIDEMITSUと精製部門で提携[2]2006年(平成18年)にはJOMOと開発・精製・物流・燃料電池・技術開発の分野における業務提携を結んだ[4]。日本国外の企業では大韓民国SKと提携関係にあり、中華人民共和国中国石油天然気集団公司と協力関係にある。

メインバンクみずほコーポレート銀行で、他に取引行として三井住友銀行[5]三菱東京UFJ銀行があるが、三菱グループの一員である。

事業内容

グループの事業セグメントは、「石油精製・販売」、「石油・ガス開発」、「建設」、「その他事業」の4種類に分類される。中核事業は石油精製・販売であり、グループ売上高の約90%を占める(2008年3月期現在)。

グループのトップである新日本石油が担うセグメントは、中核事業の石油精製・販売部門である。主な製品は、燃料油ガソリン軽油灯油ジェット燃料重油など)やアスファルト液化石油ガス潤滑油(製品名は旧日本石油時代からの名称を使用している)といった石油製品や、ベンゼントルエンキシレンナフサなどの石油化学製品である。これらの製品の精製・製造は、子会社で製造拠点を保有する新日本石油精製などに委託している。

石油・石油化学以外のエネルギー事業では、液化天然ガス石炭の輸入販売や燃料電池エネファームの開発を進めるほか、製油所・製造所併設の発電所や油槽所に設置した風力発電設備などを使用した電力卸供給事業 (IPP) や電力小売事業 (PPS) を展開している。

事業所

本社・支店

新日本石油本社
ENEOSサービスステーションの一例

製油所・製造所

括弧内は1日当りの原油処理能力。

油槽所・その他

沿革

概略

新日本石油株式会社は、2002年(平成14年)に日石三菱株式会社が社名を変更して発足した。その日石三菱は、1999年(平成11年)に日本石油株式会社と三菱石油株式会社が合併して発足した会社である。

日本石油は、1888年(明治21年)に内藤久寛・山口権三郎らが尼瀬油田の石油開発ブームを受けて設立された。本社および製油所(製油場)は油田近くの新潟県三島郡尼瀬村(現・三島郡出雲崎町尼瀬)に置かれていた。設立時は有限責任日本石油会社を名乗ったが、1894年(明治27年)に日本石油株式会社となった。1899年(明治32年)には柏崎に2番目の近代的製油所を建設、以降新潟県や秋田県北海道に製油所を建設していった。社章は、「日本」の文字をコウモリで模った「コウモリ印」を使用していた。

1921年(大正10年)、日本の二大石油会社であった日本石油と宝田石油が合併した。宝田石油は1893年(明治26年)、新潟県長岡町で東山油田をもとに創業した。合併時、宝田石油は新潟県や秋田県、そして台湾にも製油所を有していた。1941年(昭和16年)には、日本石油は国内2位の小倉石油と合併した。

太平洋戦争後、日本石油はアメリカのカルテックス(現シェブロン)と業務提携、1951年(昭和26年)に折半出資で両社の石油精製事業を担当する日本石油精製(現在の新日本石油精製)を設立し、カルテックスグループの一員となった。以降、1996年(平成8年)に提携を解消するまで、日本石油は外資系と言われた。

一方の三菱石油は、1931年(昭和6年)に三菱合資会社三菱鉱業三菱商事三菱グループ3社と、アメリカのアソシエーテッド・オイル(ゲッティ・オイル→現シェブロン)の折半出資により設立。石油業界初の外資提携であった。

年表

日本石油

明治時代
  • 1888年明治21年)5月10日 - 有限責任日本石油会社が発足。本社は新潟県刈羽郡石地村(現・柏崎市西山町石地)。
  • 1888年(明治21年)9月28日 - 本社を新潟県三島郡尼瀬村(現・三島郡出雲崎町尼瀬)に移転。
  • 1890年(明治23年)12月 - 尼瀬製油場が操業開始。
  • 1894年(明治27年)1月8日 - 日本石油株式会社に改組。
  • 1895年(明治28年)6月16日 - 新潟鐵工所が発足(1896年5月8日操業開始)。
  • 1899年(明治32年)6月25日 - 第二製油所が操業開始。
  • 1899年(明治32年)8月1日 - 本社を刈羽郡大洲村大久保(現・柏崎市大久保)に移転。尼瀬製油場を第一製油所に改称。
  • 1903年(明治36年)6月25日 - 第一製油所閉鎖。
  • 1907年(明治40年)2月1日 - 鷲田製油所を買収、新津製油所(初代)とする。第二製油所を柏崎製油所(初代)に改称。
  • 1907年(明治40年)4月17日 - 新潟市内に新潟硫曹製造所を開設。
  • 1907年(明治40年)4月20日 - 柏崎製油所隣接地に柏崎硝子製造所を開設。
  • 1907年(明治40年)6月1日 - インターナショナル石油の新潟県の全資産を買収(同年6月12日に同社製油所が直江津製油所として発足)。
  • 1909年(明治42年)12月 - 柏崎硝子製造所休止。
  • 1910年(明治43年)6月17日 - 新潟鐵工所を分離し、株式会社新潟鐵工所を設立。
  • 1910年(明治43年)7月18日 - 秋田製油所が発足(同年11月22日操業開始)。
  • 1911年(明治44年)2月6日 - インターナショナル石油の北海道の全資産を買収。
  • 1912年(明治45年)4月13日 - 北海道製油所が発足(同年10月操業開始)。

インターナショナル石油

  • 1900年(明治33年)11月15日 - アメリカ合衆国スタンダード・オイルが、北海道・新潟県の石油開発を目的としインターナショナル石油株式会社を設立。
  • 1901年(明治34年)11月 - 直江津製油所が操業開始。
  • 1902年(明治35年)3月 - 蔵王石油株式会社(1894年7月設立)を買収。
  • 1907年(明治40年)6月1日 - 新潟県の全資産を日本石油に売却。
  • 1911年(明治44年)2月6日 - 北海道の全資産を日本石油に売却
大正時代
  • 1914年大正3年)8月3日 - 本社を東京市麹町区有楽町(後の東京都千代田区丸の内)の三菱21号館に移転。
  • 1915年(大正6年)7月1日 - 柏崎製油所内に化学研究所を開設。
  • 1917年(大正6年)1月31日 - 新潟硫曹製造所を閉鎖・売却。
  • 1917年(大正6年)11月21日 - 新津製油所(初代)閉鎖。
  • 1919年(大正8年)2月 - 初のガソリンスタンドを東京神田に開設。
  • 1920年(大正9年)1月10日 - 中央石油株式会社(1907年7月29日設立)を買収。
  • 1921年(大正10年)10月1日 - 宝田石油株式会社と合併。新潟製油所(旧・沼垂製油所)、柏崎製油所柏崎分工場(旧・柏崎製油所)、秋田製油所豊川支所(旧・豊川製油所)、秋田製油所道川支所(旧・道川製油所)、秋田製油所二田分工場(旧・秋田製油所)、新津製油所(2代目)、台湾製油所(旧・苗栗製油所)、試験所を継承。化学研究所を試験所に統合。
  • 1922年(大正11年)5月31日 - 直江津製油所休止。
  • 1922年(大正11年)6月30日 - 柏崎製油所(初代)閉鎖。
  • 1922年(大正11年)7月1日 - 旧宝田石油の柏崎分工場が柏崎製油所(2代目)に改称。
  • 1922年(大正11年)8月10日 - 本社ビル「有楽館」が完成。
  • 1922年(大正11年)12月31日 - 秋田製油所豊川支所、直江津製油所閉鎖。
  • 1923年(大正12年)3月31日 - 秋田製油所二田分工場閉鎖。
  • 1923年(大正12年)5月21日 - 鶴見製油所発足(1924年6月16日操業開始)。
  • 1926年(大正15年)2月28日 - 新津製油所(2代目)休止(1928年7月26日閉鎖)。

宝田石油

  • 1893年(明治26年)3月29日 - 山田又七らにより、宝田石油株式会社(ほうでんせきゆ)設立。
  • 1896年(明治29年)9月24日 - 古志石油と合併、古志宝田石油株式会社に社名変更。
  • 1898年(明治31年)6月16日 - 全越石油の製油所(後の長岡製油所)を買収し、製油事業に進出。
  • 1899年(明治32年)10月 - 宝田石油株式会社に社名変更。
  • 1901年(明治34年)10月 - 第一次合同、1903年10月までに浅野製油所など30の会社・組合を買収。
  • 1904年(明治37年)10月 - 第二次合同、1905年3月までに宝扇石油商会・浅野削井部など19の会社・組合を買収。
  • 1906年(明治39年)10月 - 第三次合同、1907年3月までに村井石油部など36の会社・組合を買収。
  • 1907年(明治40年)4月 - 第四次合同、1908年9月までに新南北石油など27の会社・組合を買収合併。
  • 1919年(大正8年)7月 - 沼垂製油所が操業開始。
  • 1920年(大正9年)5月1日 - 中外石油アスファルト株式会社(1913年10月28日に中外アスファルトより社名変更、1907年4月15日会社設立)を合併。
  • 1921年(大正10年)10月1日 - 日本石油株式会社と合併。
昭和時代(戦前)
  • 1927年昭和2年)3月31日 - 秋田製油所道川支所閉鎖。
  • 1929年(昭和4年)5月10日 - 下松製油所発足(1930年4月10日操業開始)。
  • 1934年(昭和9年)2月2日 - 道路部門を分離、日本舗道株式会社(現・NIPPOコーポレーション)を設立。
  • 1936年(昭和11年)12月1日 - 関西製油所発足(1937年5月24日操業開始)。
  • 1939年(昭和14年)9月2日 - 販売部門を石油共販株式会社に譲渡、石油精製専業に。
  • 1939年(昭和14年)11月 - 試験所閉鎖。
  • 1940年(昭和15年)12月30日 - 和田製油所(新潟県)を買収。
  • 1941年(昭和16年)1月28日 - 北村製油所(千葉県)を買収。
  • 1941年(昭和16年)6月1日 - 小倉石油株式会社と合併。横浜製油所、東京製油所、中央研究所を継承。
  • 1942年(昭和17年)4月1日 - 鉱業部門を帝国石油株式会社に譲渡。
  • 1942年(昭和17年)6月1日 - 愛国石油株式会社を吸収合併。長岡製油所、川崎製油所を継承。
  • 1942年(昭和17年)12月30日 - 諸橋製油所(秋田県)を買収。
  • 1943年(昭和18年)11月30日 - 長岡製油所閉鎖。
  • 1943年(昭和18年)12月15日 - 川崎製油所閉鎖。
  • 1944年(昭和19年)8月25日 - 高雄製油所発足。台湾製油所を苗栗製油所に改称。
  • 1944年(昭和19年)9月1日 - 末武製油所発足。
  • 1945年(昭和20年)6月30日 - 東京製油所閉鎖。

小倉石油

  • 1889年(明治22年) - 小倉常吉が小倉油店を創業。
  • 1894年(明治28年) - 小倉石油店に改称。
  • 1902年(明治35年)12月27日 - 釜屋堀工場(後の東京製油所)を買収。
  • 1917年(大正6年)6月5日 - 大久保製油所(秋田県大久保)が操業開始。
  • 1922年(大正11年)1月21日 - 横浜に原油貯油所を開設。
  • 1923年(大正12年)4月30日 - 大久保製油所閉鎖。
  • 1925年(大正14年)4月10日 - 小倉石油株式会社に改組。
  • 1929年(昭和4年)12月 - 横浜製油所が操業開始。
  • 1941年(昭和16年)6月1日 - 日本石油株式会社と合併。

愛国石油

  • 1934年(昭和9年)4月 - 愛国石油合資会社として設立。川崎工場が操業開始。
  • 1935年(昭和10年)4月 - 愛国石油株式会社に改組。
  • 1940年(昭和15年)3月 - 新愛国石油株式会社設立、加藤製油所および加藤製油所新津工場を継承。
  • 1940年(昭和15年)11月4日 - 愛国石油が新愛国石油を合併、長岡製油所・新津製油所が発足。
  • 1941年(昭和16年)4月 - 新津製油所閉鎖。
  • 1942年(昭和17年)6月1日 - 日本石油株式会社に合併。
昭和時代(戦後)・平成時代
シンボルマークの「サンライズ」が貨車の右隅に描かれている。
  • 1945年(昭和20年)8月15日 - 苗栗製油所、高雄製油所閉鎖。
  • 1945年(昭和20年)10月5日 - 末武製油所、上海製油所閉鎖。
  • 1945年(昭和20年)10月22日 - 本社有楽館がGHQに接収、本社機能を東京都内に分散。
  • 1945年(昭和20年)12月20日 - 中央研究所を中央技術研究所に改称。
  • 1946年(昭和21年)6月4日 - 本社を三菱仲5号館に移転。
  • 1947年(昭和22年)1月20日 - 東京製油所跡地に東京工場を開設。
  • 1949年(昭和24年)2月28日 - 鶴見製油所、関西製油所閉鎖。
  • 1949年(総和24年)4月1日 - 石油元売業者として営業再開。
  • 1949年(昭和24年)5月16日 - 株式上場。
  • 1950年(昭和25年)1月20日 - 東京工場閉鎖。
  • 1950年(昭和25年)6月 - 北海道製油所休止(1957年12月31日閉鎖)。
  • 1951年(昭和26年)7月23日 - 東京タンカー株式会社(現・新日本石油タンカー)を設立。
  • 1951年(昭和26年)10月1日 - アメリカのカルテックス社(現・シェブロン)との折半出資で日本石油精製株式会社(現・新日本石油精製)を設立、横浜製油所・下松製油所を譲渡。
  • 1955年(昭和30年)2月3日 - 日本石油瓦斯株式会社(後の新日本石油ガス)を設立。
  • 1955年(昭和30年)8月11日 - 日本石油化学株式会社(現・新日本石油化学)を設立。
  • 1956年(昭和31年)7月23日 - 本社を「日石ビル」(旧・有楽館)に移転。
  • 1957年(昭和32年)10月21日 - 和信商事株式会社(現・新日本トレーディング)を設立。
  • 1959年(昭和34年)10月10日 - 日石不動産株式会社(現・新日石不動産)を設立。
  • 1960年(昭和35年)4月1日 - 日本加工油株式会社(後の新日本石油加工)を設立。
  • 1962年(昭和37年)8月13日 - 「日石本館」(現・新日本石油ビル)が東京都港区芝田村町(現・西新橋)に完成、同ビルに本社を移転。
  • 1966年(昭和41年)3月21日 - 柏崎製油所(2代目)を柏崎工場に改称。
  • 1967年(昭和42年)3月1日 - 日本石油基地株式会社(現・新日本石油基地)を設立。
  • 1967年(昭和42年)7月19日 - 日本海石油株式会社を設立。
  • 1967年(昭和42年)11月1日 - 柏崎工場を日本加工油に譲渡。
  • 1970年(昭和45年)4月1日 - 秋田製油所を日本石油加工に譲渡。
  • 1982年(昭和57年)7月20日 - 新シンボルマーク「サンライズ」を制定。
  • 1984年(昭和59年)11月30日 - 三菱石油と提携。
  • 1988年(昭和63年)7月 - 無鉛100オクタンガソリン「ダッシュレーサー100ガソリン」発売。
  • 1991年平成3年)6月26日 - 資源開発子会社の業務を統括する日本石油開発株式会社(現・新日本石油開発)を設立。
  • 1996年(平成8年)4月 - カルテックス社が所有する日本石油精製の全株式を取得、100%子会社とする。

三菱石油

日石三菱→新日本石油

  • 1999年(平成11年)
    • 4月1日 - 日本石油と三菱石油が合併し、日石三菱株式会社に商号変更(手続き上の存続会社は日本石油)。新潟製油所を日本石油加工に譲渡。
    • 7月 - 水島製油所を日本石油精製に譲渡。
    • 9月 - 興亜石油株式会社を子会社化。
    • 10月 - コスモ石油と、原油調達・精製・物流・潤滑油の各部門で業務提携。
    • 10月1日 - 川崎製油所が川崎事業所に改称。
  • 2001年(平成13年)3月31日 - 和歌山石油精製海南製油所での原油処理を停止。
  • 2001年(平成13年)7月1日 - ブランド名を「ENEOS」に統一[6]
  • 2001年(平成13年)10月1日 - 石油・天然ガス資源開発部門を日本石油開発に譲渡。
  • 2002年(平成14年)4月1日 - 新日本石油精製が東北石油・興亜石油を合併。
  • 2002年(平成14年)6月27日 - 新日本石油株式会社に商号変更。
  • 2004年(平成16年)3月31日 - 富士興産の潤滑油事業を譲受け。
  • 2005年(平成17年)7月1日 - 新日本石油ガスを合併。
  • 2006年(平成18年)10月1日 - 新日本石油加工が新日本石油精製に合併、同社から秋田事業所・下松事業所を移管。
  • 2008年(平成20年)4月1日 - 三洋電機と合弁で定置用燃料電池事業にかかわる新会社「ENEOSセルテック」を設立。出資比率81%。
  • 2008年(平成20年)10月1日 - 九州石油の大分製油所における石油精製事業・付帯関連事業を分割し子会社の新日本石油精製に承継させた上で、九州石油を吸収合併[7]
  • 2008年(平成20年)12月4日 - JOMOブランドを展開する新日鉱ホールディングスとの経営統合を発表し、覚書を締結。
  • 2009年(平成21年)10月30日 - 新日鉱ホールディングスとの経営統合契約を締結。2010年(平成22年)4月1日付けで共同持株会社『JXホールディングス』を設立。
  • 2010年(平成22年)7月1日 - ジャパンエナジー・新日本石油精製と事業統合し、JX日鉱日石エネルギーが発足予定。統合後もENEOSブランドが引き続き使用される。

かつて保有していた製油所

※新日本石油精製移管および移管後の閉鎖を除く。なお、上海・高雄・末武の3製油所は操業に至らなかった。

  • 尼瀬製油場 - 1890年12月開設・1903年6月閉鎖、新潟県三島郡出雲崎町尼瀬
  • 柏崎製油所(初代) - 1899年6月開設・1922年7月閉鎖、新潟県柏崎市大久保
  • 新津製油所(初代) - 1907年2月買収・1917年11月閉鎖、新潟県新潟市秋葉区田家
  • 直江津製油所 - 1907年6月買収・1923年1月閉鎖、新潟県上越市頸城区西福島
  • 秋田製油所 - 1910年7月開設・1970年3月閉鎖、秋田県秋田市土崎港相染町
  • 北海道製油所 - 1912年4月開設・1957年12月閉鎖、北海道札幌市手稲区
  • 新潟製油所 - 1921年10月移管・1999年3月閉鎖、新潟県新潟市中央区竜が島
  • 柏崎製油所(2代目) - 1921年10月移管・1967年10月閉鎖、新潟県柏崎市日石町
  • 秋田製油所豊川支所 - 1921年10月移管・1922年12月閉鎖、秋田県潟上市昭和豊川船橋
  • 秋田製油所道川支所 - 1921年10月移管・1927年3月閉鎖、秋田県秋田市上新城道川
  • 秋田製油所二田分工場 - 1921年10月移管・1923年3月閉鎖、秋田県潟上市天王二田
  • 新津製油所(2代目) - 1921年10月移管・1928年7月閉鎖、新潟県新潟市秋葉区
  • 苗栗製油所 - 1921年10月移管・1945年8月閉鎖、台湾苗栗県苗栗市
  • 鶴見製油所 - 1923年5月開設・1949年2月閉鎖、神奈川県横浜市鶴見区安善町(跡地は在日米軍鶴見貯油施設
  • 関西製油所 - 1936年12月開設・1949年3月閉鎖、兵庫県尼崎市扇町
  • 東京製油所 - 1941年6月移管・1945年6月閉鎖、東京都江東区大島
  • 長岡製油所 - 1942年6月移管・1943年11月閉鎖、新潟県長岡市草生津
  • 川崎製油所 - 1942年6月移管・1943年12月閉鎖、神奈川県川崎市川崎区扇島
  • 上海製油所 - 1943年4月開設・1945年10月閉鎖、中国上海市
  • 高雄製油所 - 1944年8月開設・1945年8月閉鎖、台湾高雄市
  • 末武製油所 - 1944年9月開設・1945年10月閉鎖、山口県下松市西豊井

特徴のあるガソリンスタンド

関係会社

新日本石油グループ」を参照

CM

コマーシャルソング

旧・日本石油のコマーシャルソングとして、冬季のストーブ用灯油のCMでの『日石灯油だもんネ』(作詞:五木寛之、作曲:越部信義)がある。この曲は、三菱石油との合併後も歌詞の一部を変更して(日石灯油→日石三菱→ENEOS灯油)引き続き使用されている。60年代頃のCMソングとして『日本石油の唄』『ハイ・ハイ・ハイオクタン』(いずれも作詞・作曲:三木鶏郎)もあった。また、30年以上の長きにわたって販売されていたエンジンオイルのPANシリーズに代わり新たに1995年に登場したZOAシリーズのCMでは、X JAPANの曲が使用されていた。

出演タレント

日本石油時代

三菱石油時代

日石三菱時代

新日本石油改称後

提供番組

テレビ

ラジオ

スポーツ関連事業

公式スポンサー

旧九州石油が各施設の命名権を2006年3月に取得、その契約が2009年2月末日で満了するため所有者の大分県と九州石油を経営統合した新日本石油との間で契約延長について協議を続けた結果、2010年2月28日まで契約を延長することで合意した。なお、「地元に親しまれている」という新日本石油の判断から、九州石油時代の名称のままとすることになった。契約が切れた3月1日からは命名権が大分銀行に移り、大分銀行ドームとなっている。

関連項目

脚注

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  1. ^ よくある質問 サービスステーション(新日本石油ウェブサイト)、2010年4月4日閲覧
  2. ^ a b石油便覧
  3. ^ 2004年9月15日付 新日本石油ニュースリリース
  4. ^ 2006年6月20日付 新日本石油ニュースリリース
  5. ^ 三井銀行時代には日石本社ビル内に支店を所有していた。
  6. ^ 合併からENEOSブランドへの統一までは旧看板のままの営業であった(ただし、合併以後に建てられた店舗および旧日石系販売店は日石のペイント、旧三菱系販売店は三菱のペイントではあったが「NiSSEKI」や「三菱石油」の部分が「日石三菱」に差し替えられていた(旧三菱系販売店の建てかえの場合、旧三菱が他のペイントとなっていたこともある))。ENEOSブランドへ統一後もサインポールが旧日石系は正方形、旧三菱系は縦長の長方形で合併前の名残が見られるが、旧三菱系のサインポールも徐々に正方形に変わっている。また、給油機に貼り付けてある燃料油名のシールも例として、旧日石系はハイオク:赤・レギュラー:青・軽油:緑、旧三菱系はハイオク:黄緑・レギュラー:赤・軽油:紺の配色で名残が見られるが、新規オープン及びリニューアル販売店やセルフ式スタンド等ではハイオク:黄・レギュラー:赤・軽油:緑の配色となっている(現在、旧日石系・旧三菱系の販売店に関わらず徐々にこの配色に変わってきている)。尚、2002年4月よりハイオクはセルフ式スタンドを除き「ヴィーゴ」を記して販売している。
  7. ^ なお、旧九州石油が行っていたコウノトリ放鳥支援事業については、新日本石油のCSR事業として継承されている

外部リンク



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