戦車の弱点と対戦車戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 06:48 UTC 版)
詳細は「対戦車兵器」、「en:Anti-tank warfare」、および「地雷#対戦車地雷」を参照 戦車を相手に戦うことを「対戦車戦」、戦車を攻撃するための手段を「対戦車兵器」とそれぞれ呼ぶ。 戦車は開口部が極端に少ないため、視界は狭く死角が多い、また外部音が遮蔽され乗員は周囲の音を感知することが困難であるという弱点・欠点がある。反対に、戦車は車体や走行音が大きく、エンジンなど熱源を積んでいるため、暗視装置など技術機材の有無を問わず敵からは察知されやすい。ハッチ、外部を観察するための光学装置、履帯や転輪も破壊しやすく、戦車の弱点である。 戦車と戦う側からすると、敵戦車の弱点を見極めてそこを攻める必要が出てくる。歩兵は物陰に隠れたり地形に潜んで、戦車を奇襲的に攻撃することができる。攻撃機や武装ヘリコプターといった航空機は戦車からは察知されにくく、戦車砲を指向させにくい角度の上空から一方的に戦車を攻撃することができる。 戦車が登場した当初に行われた対戦車攻撃としては、地雷を用いて戦車の履帯や底面を破壊する、歩兵が肉迫して手榴弾や爆薬を投げ込む、野砲が直接照準で射撃するといった方法があった。第二次世界大戦初期までは、歩兵用の対戦車兵器のひとつとして対戦車ライフルが用いられていた。人力で運搬・射撃する都合上、威力を向上させようとすると重量・反動が増大して運用が難しくなる。戦車の装甲が強化されるに従い、対戦車兵器としては衰退した。 第二次世界大戦後期にはバズーカやパンツァーファウストなどの個人が携行することが可能な対戦車ロケットや無反動砲が普及したことにより、射程では劣るが貫通力では対等になった。これらの兵器は成形炸薬によるモンロー効果を用いた成形炸薬弾(HEAT弾)を使用し、人間が受け止められる反動以上の対戦車戦闘力を歩兵にもたらした。また、ソ連で開発されたRPG-7は簡単な構造で、途上国でも簡単にコピー生産できるため、世界のテロリストやゲリラなどの弱小勢力でも正規軍の戦車に対抗できるようになり、低強度紛争(Low Intensity Conflict:LIC)といった非対称戦が多発する要因ともなった。 1970年代には、誘導装置を備えた対戦車ミサイルにより、それまでの「戦車の歩兵に対する圧倒的な優位」の状態が一気に崩れ、立場が逆転してしまった。歩兵は、比較的安価で入手しやすく、取り扱いが軽便な携帯用対戦車兵器により、高価な敵戦車を撃破することができるようになった。 イスラエルとアラブ諸国が争った数次の中東戦争ではしばしば大規模な戦車戦が繰り広げられた。第一次中東戦争は歩兵支援にとどまったが、特に1973年10月に勃発した第四次中東戦争ではアラブ側・イスラエル側併せて延べ7,000輌(イスラエル約2,000輌、エジプト2,200輌、シリア1,820輌、その他アラブ諸国約890輌)の戦車が投入され、シナイ半島、ゴラン高原において複数の西側製戦車(センチュリオン「ショット」、M48パットン/M60パットン「マガフ」など)とソ連製戦車 (T-54/55、T-62、なおイスラエル軍も「Tiran-4/5/6」として使用)が正規戦を行った。8日に発生したエジプト軍第二歩兵師団とイスラエル軍第190機甲旅団の戦闘では、エジプト軍がRPG-7やAT-3「サガー」を大量に装備して迎え撃った。随伴歩兵を伴っていなかったイスラエル軍戦車はこうした対戦車攻撃を満足に防げず、約120輌の戦車うち100輌近くが約4分間で撃破された。シナイ方面で行われた10月14日の戦車戦はクルスク大戦車戦以来最大の規模となり、また対戦車ミサイルが大規模に投入され戦車にとって大きな脅威となった事から、以後の戦車開発に戦訓を与え、以降の戦車は更に重武装、重装甲であることが求められる様になった。 当時はT-72をはじめとして東側戦車は複合装甲を備えていたため携帯式対戦車兵器の威力に対抗できたが、西側戦車はただの鋼板による防御力しか持たなかったため戦車を持たずとも対戦車ミサイルのみで対処できるということが世界中に理解された。当時盛んだった戦車不要論をある意味で証明することになった。また、爆発反応装甲はイスラエルで実用化されたが、体積および質量当たりの防御力の高さはむしろ東側戦車で評価されていった。それでもなお、戦車の側面・後面や走行装置等の弱点を狙ったり、タンデム弾頭や地面設置型のミサイルを使用するなど、状況は限られるものの撃破自体は不可能ではない。対戦車ヘリコプターの出現や対戦車ミサイルが猛威をふるったことにより「戦車不要論」も唱えられたが湾岸戦争・イラク戦争は戦車が活躍し下火となった。 現代の戦車は敵の対戦車兵器に備えて常に周囲を警戒する必要に迫られ、第一次世界大戦で戦車が登場した当初の「味方歩兵を護るために戦車が先行し、彼等のための壁になる」という図式が成り立たなくなり、「戦車を敵歩兵から護るために、歩兵を先行・随行させる」という状況に陥ってしまった。戦車を運用する側は戦車を単独で進めるのではなく、視界の広い歩兵を随伴させ、歩兵の警戒と小火器による牽制・制圧で敵方の対戦車戦闘を困難にさせなければならなくなった。それに対して対戦車攻撃を仕掛ける側にとっては、まず敵戦車に随伴する歩兵を無力化、あるいは両者を分断してから戦車を攻撃する必要性が生まれ、彼我の駆け引き・せめぎあいが行われるようになった。現代の地上戦において戦車の出番は最終段階となる。 戦車は大きく重いことから交通路には制限があり、防御側はこれを利用して対戦車壕や対戦車用バリケード、対戦車地雷等の障害物によって自由な移動を阻害する。戦車は車体の大きさから停止して動けない状態では容易に狙い撃ちされるため、走行不能な状態に陥った戦車の自衛戦闘には限界があり、味方の救出が間に合わなければ乗員は脱出を強いられることになる。 最新の戦車はモニターやセンサー類を充実することで不利を補おうとしているが、それでもなお充分とは言えず、随伴歩兵との連携を必要としつづけている。歩兵が戦車の外に直接同乗するタンクデサントは歩兵の視野の広さと戦車の機動力を得られる反面、むき出しの歩兵は敵からの攻撃に対して無防備であり、常に推奨される戦法とは言えない。ロシアでは味方戦車を敵歩兵から守ることに特化した戦闘車輛であるBMP-Tシリーズが開発された。 2000年代になると携行型の対戦車ミサイルは、歩兵1名での運用、2kmを超える長射程化、ファイア・アンド・フォーゲットによる反撃の回避、正面装甲より弱い上部装甲を狙うトップアタックなど高機能化したが、電子機器の低価格化により価格上昇は少なく、多くの軍で標準的な装備となった。また無人航空機や徘徊型兵器も実戦配備されるようになった。対戦車ミサイルへの対策として、被弾を前提とした改修が行われている。 進化した対戦車兵器への対策により戦車の開発費・価格は上昇し、先進国でも大きな負担となっている。2022年ロシアのウクライナ侵攻ではロシア軍の戦車が低コスト化した対戦車兵器で大損害を受けたことから、コスト面での優位性が低下しつつある。 戦車(レオパルト2)に随伴する歩兵戦闘車(CV90) 海岸線に設置された対戦車バリケードの一例。第二次世界大戦の大西洋の壁の一部で、鉄骨を組み合わせた「チェコの針鼠」。 戦車を破壊すべく、刺突爆雷を持ち戦車に向かって突入しようと身構えるヴェトナムの兵士の像 台児荘の戦いにおいて対戦車兵器の不足を補うため、多量の手榴弾を身に付けて自爆攻撃に備える中国軍兵士 PTRD-41の銃身の長さが分かる写真 RPG-7を担いだイラク治安部隊兵士。背中には予備の弾も2つ背負っている。 ソ連製の対戦車地雷。 FGM-148 ジャベリンを担ぐアメリカ軍兵士。 有効な対戦車兵器が無い場合 火砲やロケットランチャーといった対戦車兵器を使えない場合、太い木や鉄の棒などを履帯に投げ込んだり、あるいはバリケードを用いて敵戦車を足止めした上で、灯油やガソリンなどの可燃物を戦車の上面に大量に浴びせかけたり、地面など周囲にも可燃物を配置しておいて着火し、火攻めにするという攻撃方法が用いられる場合がある。かつては同じ目的で火炎放射器や火炎瓶、焼夷剤投射器(例:ドイツ連邦軍のHandflammpatrone)を使う事例もあった。開口部や吸気口から燃える可燃物が車内に入り込むことで、戦闘室やエンジンが焼損にいたる。また装甲板で覆われて開口部が少ない戦車は温度上昇を防ぐことができず、炎にさらされ続けると全体がまるで大型のオーブンのようになり、機器が故障したり弾薬が誘爆しなくとも、内部の乗員は脱出を余儀なくされる。現代の戦車はアンテナやカメラなど重要だが脆弱な箇所が多く、作戦を続行するためには消火が必要となり人手が割かれる。 ありあわせの爆発物で作られた即席爆発装置は、戦車の下部装甲や走行装置を破壊したり、車体を横転させる威力を持ちうるため、紛争地域に投入された戦車にとり大きな脅威となっている。 即席爆発装置 道路外(オフロード)に成形炸薬を用いた対戦車地雷を設置した事例。罠線や遠隔操作で信管を作動させると、向かって右奥にメタルジェットが噴射される。 火炎瓶の投擲訓練を行うカナダ軍兵士
※この「戦車の弱点と対戦車戦」の解説は、「戦車」の解説の一部です。
「戦車の弱点と対戦車戦」を含む「戦車」の記事については、「戦車」の概要を参照ください。
- 戦車の弱点と対戦車戦のページへのリンク