後世への大きな影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 09:16 UTC 版)
ブラヴァツキーに始まる〈神智学〉の影響は非常に広範囲に及び、現代まで続いている。大田俊寛は、〈神智学〉という存在が功罪を含めてきわめて大きな影響力をふるっているにもかかわらず、現在ではほとんど認知されておらず、客観的な立場から書かれた日本語の研究書は、まだ一冊もないのではないだろうかと述べている。 2004年出版のニコラス・グドリック=クラーク(英語版)の書籍では、その影響は次のように述べられている。 神智学協会からの分派がインドにも西洋にも多く残されたこと。 のちの協会の歴史のなかで、アニー・ベサントが協会会長時代、インド国民会議派の1917年の会議の議長を務めたことで、インドの国民意識の発展に大きな貢献を残したこと。またガンディーとネルーがともにインドの宗教的・哲学的遺産を再発見するために〈神智学〉にひきつけられたこと。 西欧では、現代のオカルトのリバイバルに単独の最も重要な要因になったこと。 西欧での心霊主義の流行を宇宙論、近代人類学、進化理論を人間の霊的発展とむすびつけて、一貫した教義を打ち立てたこと。 西欧神秘主義の古くからの源泉を、西欧が植民地支配によって接触できたアジア宗教の用語によって再解釈しグローバル化したこと。 1893年のシカゴ万国宗教会議(英語版)で最初の試みが行われた、比較宗教研究に道をつけたこと。 霊的発展の際の意識を重視することで、唯物論や機械的自然観と対決し、伝統的なヘルメス哲学の大宇宙と小宇宙の交流図式にモダンかつダイナミックな面を導入したこと。その文化的な影響は非常に広く、近代芸術、量子物理学、それに最近のニューエイジ宗教などに及んでいると言われる。 杉本良男は、神智学協会の直接の影響下に育って分派していったジッドゥ・クリシュナムルティ、ルドルフ・シュタイナー、アリス・ベイリー、その直接の影響を強く受けたガイ・バラード(英語版)(アイ・アム運動(英語版))のほか、若干距離をとっていたゲオルギイ・グルジエフとピョートル・ウスペンスキー、神智学協会創設の年に生まれてその使命をうけついだと自称したアレイスター・クロウリー、ティモシー・リアリーなどの高名な近代の神秘主義者は、いずれも直接間接にブラヴァツキーの影響下にあると述べている。 〈神智学〉は「ニューエイジ」運動に影響を与えた。大田俊寛によると、〈神智学〉で発展した「霊の進化」の理論は、1960年代に入るとアメリカ西海岸が中心になり、「ニューエイジ」の思想として大衆的なブームとなり、その「死生観」(霊的進化と転生)は世界中に広く普及した。ニューエイジでは、ブラヴァツキーが唱えた現在の「物質的文明から霊的文明への転換」という理論を受け継ぎ、「霊的革命論」をその根幹とし、ヨーガやドラッグで霊性を高めることが目指された。そして霊的文明への転換という考えは、現在の物質文明は遠からず破局を迎えるという一種の「終末論」を必然的に引き寄せることになった。 近年では、ニューエイジ運動などへの関心から遡って、神智学協会とくに始祖としてのブラヴァツキーへの評価が高まっている。岩本道人は、『シークレット・ドクトリン』は思想的影響から見て計り知れない大著であるが、そこでブラヴァツキーが用いた「不可視の超越者」の介入と想像力の無限の活用という手段こそ、20世紀のポップ・オカルティズム(大衆的オカルティズム)の氾濫の素地をなしたことも見逃されてはならない、と述べている。 大田俊寛の指摘するところでは、チャネラー・心霊治療家のエドガー・ケイシー、UFO研究・UFO信仰(英語版)のジョージ・アダムスキー、マヤ暦に神秘的な意味を求め、宇宙的存在(宇宙人)のビームの影響で地球に文明がもたらされたとするホゼ・アグエイアス、爬虫類人類による陰謀論を唱えたデイビッド・アイクといったアメリカやイギリスのポップ・オカルティズムの旗手にも〈神智学〉の影響が見てとれる。神智学協会の〈神智学〉は下火になったが、その思想体系は大量消費社会が実現されたアメリカで「ポップ・オカルティズム」へと形を変え、ニューエイジ文化の一部となったと見ることができる。 〈神智学〉は、西洋占星術の復興に大きく貢献した。西洋で占星術は、科学の台頭で時代遅れの物笑いの種になっており、古代からの名声を完全に失っていた。英語圏の国々で〈神智学〉が登場し、それまで馬鹿にされたり無視されていたオカルト要素をその体系に取り入れたことで、他のオカルト関連の話題とともに後期ヴィクトリア朝の教養人たちの興味を集め、オカルトへの関心を呼び覚ました。19世紀イギリスの代表的占星術師でブラヴァツキーの腹心のひとりアラン・レオ(英語版)(W・F・アレン)やハーモニクスのジョン・アディ(英語版)など神智学協会の会員であった占星術師は多い。サビアン占星術もアメリカ神智学協会から出てきた新理論である。 西洋占星術復興の立役者は、神智学協会の占星術師アラン・レオとW・R・オールドである。彼らは、占星術を古臭い陳腐な予言の手段から〈神智学〉の関連要素に引き上げ、秘教的関心における有用なツールにし、〈神智学〉と占星術を融合させた。アランは20世紀初の占星術の広告塔になり、雑誌を利用して自らの占星術を普及し、大衆化し、もうかる商売に仕立てた。アランの教本は、近代占星術の初期の研究家ほとんどすべてが学んでおり、後世に大きな影響を与えている。 杉本良男は、ニューエイジに関連する興味の高まりの一方、神智学協会の影響を受けたスリランカの仏教復興(オルコット、アナガーリカ・ダルマパーラ)、インドの国民会議議長(アニー・ベサント)、南インドの古典舞踊再編(ルクミニー・デーヴィ・アルンデール(英語版))などの、南アジアのナショナリズムに関連する歴史的な意義は、少数の専門家をのぞけば現在ではほとんど省みられなくなっていると述べている。 大田俊寛は〈神智学〉が果たした歴史的役割についての覚書きで、上記と重複しない内容として、次の点を挙げている。 オカルト人種主義。大田は、〈神智学〉の霊的進化論はしばしば人種論とも結びいたとしている。オカルト的な人種主義は、ナチズムの人種論の先駆を為したことが指摘されていると述べている。〈神智学〉の世界秩序と人類への友愛の衝動は、ナショナリズムに変貌してきた。レイチェル・ストームは、一部の神智学徒は人種的憎悪をあおったとして非難されているが、〈神智学〉に彩られたアリオゾフィ(英語版)はナチスの宣伝に好都合な材料となっており、アリス・ベイリーの反ユダヤ的言説にみられるように、神智学徒の一部にも責任があると述べている 。同時に神智学徒はナチスに迫害されていた。 ユネスコの創設を促したこと。大田は、〈神智学〉の文化観や教育観がラビンドラナート・タゴールやマリア・モンテッソーリを通じてユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の創設を促したと言われる、と述べている。 岩間浩は、ユネスコ創設の源流における「重要人物」として、新教育運動の連帯組織の創造をリードした神智学徒ベアトリス・エンソアを取り上げている。また、ブラヴァツキーが『神智学の鍵』で、子どもに自分で考えさせること、相互扶助の精神、独立心、推論する力の育成、機械的暗記を最小限にして内的感覚や潜在能力を発達させること、子どもを個人として尊重すること、知的・精神的に自由で、偏見のない、利己心を脱した自由な男女を育成するなどの教育の理想を語っており、この望みはアニー・ベサントの時代に実現に移されたと述べている。ベサントは教育による社会改造に深い関心を持った人物で、ベナレスに中央ヒンドゥ・カレッジ(英語版)を設立するなどインドの教育にも寄与した。 幼児教育者でモンテッソーリ法という教育法を提唱したマリア・モンテッソーリは、現代の日本でも有名な人物であるが、アニー・ベサントはモンテッソーリ法を高く評価して両者は深い友情を結んだ。ベサントの後継者ジョージ・アルンデール(英語版)はモンテッソーリをインドに招聘し、彼女は第二次世界大戦のインドを離れてインド各地にモンテッソーリ法を広め、『吸収する心』などの多数の著作を書き、乳幼児の観察とそれによる教育法の改善を行った。岩間は、このときモンテッソーリが創出した「コズミック理論」は、ブラヴァツキーの宇宙論に影響を受けたものであろうと述べている。 また、人智学を提唱したシュタイナーも独自の教育法で知られているが、岩間は総合的方法で学校運営を行ったエンソアより、むしろ神智学協会を離脱したシュタイナーの学校に〈神智学〉独特な生活の反映を見ることができると述べている。同じく神智学協会を離脱したクリシュナムルティの学校でも、自己訓練を通しての自由が養育されている。他にも神智学協会は数々の影響を教育界に及ぼしたという。 芸術においては、一時期神智学協会に属した詩人ウィリアム・バトラー・イェイツや、抽象絵画の最初期の画家たちワシリー・カンディンスキー、ピエト・モンドリアン、ヒルマ・アフ・クリント、作曲家のアレクサンドル・スクリャービンなどに影響を与えた。 小説では、宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)などと呼ばれるクトゥルフ神話を題材にしたアメリカの小説家H・P・ラヴクラフトにも影響を与えた。魂や心霊を象徴として描き、霊界を描写したという童話『青い鳥』のベルギーの作家メーテルリンクもブラヴァツキーの信奉者であった。アメリカの独自性を感じさせる初めての国民的童話である、ライマン・フランク・ボームの『オズの魔法使い』には、科学とオカルト(魔術)が一体となった〈神智学〉の思想が深く浸透している。イギリスの作家D・H・ロレンスも〈神智学〉へ関心を寄せ、その作品に登場させている。 ロシアでは19世紀末から20世紀初頭にかけて、オカルト小説が「主流の文学」において復権したが、この大衆的なオカルト小説には〈神智学〉の「秘教的東洋というイメージ」がより明確に見られた。革命前のロシア最大のオカルト小説作家ヴェーラ・クリジャノフスカヤ(ロシア語版)(1857年 - 1924年)は、長編『ある惑星の死』(Смерть планеты、1911年)、『立法者たち』(Законодатели、1916年)で、滅亡の迫った地球でキリスト教信仰を守りながら悪と戦うインド人マギたちの活躍、および別の惑星での新世界建設の物語を描いている。ロシア研究者の久野康彦は、この2作品は「〈神智学〉が本来持つ西欧の近代文明批判の観点を継承しながらも、オカルトと科学の結合、宇宙的な進化のビジョンなどに独自の文学的ファンタジー」を見せており、思想的には浅いながらも、奔放な想像力でキッチュな世界を具現化しており、その「オカルトと科学の結合や宇宙的な進化のビジョンは、後のソビエトの精神風土を先取りしている」と指摘している。
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