後世への影響と模写作品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 02:00 UTC 版)
「糸車の聖母」の記事における「後世への影響と模写作品」の解説
『糸車の聖母』には、レオナルドの弟子や後世の画家たちが描いた模写や、構成を借用した絵画作品が40点近く現存している。現在の「バクルーの聖母」や「ランズダウンの聖母」とは細部が異なる模写が多く、長い年月をかけて手が加えられていったものと考えられている。中景に「バクルーの聖母」や「ランズダウンの聖母」の下絵にしか存在しない人物像が描かれている模写が存在しているほか、フラ・ピエトロ・ダ・ノヴェラーラの書簡に記されているような「かご」が幼児キリストのそばに描かれている模写もある。ルーヴル美術館が所蔵する模写も含めて8点に、「バクルーの聖母」の前景とは異なる表現の岩肌が描かれている。これらの模写の多くがロンバルドを中心に活動していた、レオナルドの影響を強く受けたレオナルド派 (en:Leonardeschi) と呼ばれる画家たちの作品だと考えられている。そのほかにも複数の画家たちによる、レオナルドの構成に加えてさらに多くの生物や人物を描き足した模写が存在している。 『糸車の聖母』の構成はとくにスペインで有名になった。この構成をスペインに持ち込んだのはフェルナンド・ヤーニェス・デ・ラ・アルメディーナ (en:Fernando Yáñez de la Almedina) か、エルナンド・デ・ロス・リャノス (en:Hernando de los Llanos) ではないかといわれている。両者ともに16世紀初頭にフィレンツェで修業を積んだ画家であり、どちらかが、レオナルドがヴェッキオ宮殿壁画の『アンギアーリの戦い』を制作していた1505年に、レオナルドの弟子で「スペインのフェルナンド (Ferrando spagnolo)」と呼ばれていた人物だと考えられている。
※この「後世への影響と模写作品」の解説は、「糸車の聖母」の解説の一部です。
「後世への影響と模写作品」を含む「糸車の聖母」の記事については、「糸車の聖母」の概要を参照ください。
- 後世への影響と模写作品のページへのリンク