ベッキオ‐きゅうでん【ベッキオ宮殿】
ヴェッキオ宮殿
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ヴェッキオ宮殿(ヴェッキオきゅうでん、伊: Palazzo Vecchio、パラッツォ・ヴェッキオ[1])は、イタリアのフィレンツェにある宮殿[1]。シニョリーア広場に面している。世界遺産「フィレンツェ歴史地区」の構成の一つである[2]。
概要
1299年から1314年にかけてアルノルフォ・ディ・カンビオによって建設され、初めは、フィレンツェ共和国の政庁舎として使われ、一時、メディチ家もピッティ宮殿へ移るまでここを住居としていた。1550年から1565年の間に、ジョルジョ・ヴァザーリによって部分的に改築された。現在でも、フィレンツェ市庁舎として使われている[1]。内部は、「フランチェスコ1世の仕事部屋」「500人大広間」「レオ10世の間」「ゆりの間」などの部屋に分かれている。
2007年5月、イタリア文化庁は、レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の壁画「アンギアーリの戦い」が500人大広間にあるヴァザーリの壁画の裏側に隠されていると発表した。
脚注
ヴェッキオ宮殿
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「フィレンツェ歴史地区」の記事における「ヴェッキオ宮殿」の解説
詳細は「ヴェッキオ宮殿」を参照 14世紀の始めにフィレンツェの政庁舎として建築され、一時、メディチ家もピッティ宮殿へ移るまでここを住居としていた。現在は市庁舎として使用されている。3層の石造建物で塔の高さは94mある。 「500人大広間」の壁画をミケランジェロとダ・ビンチが競作したエピソードで有名(現在の壁画はジョルジョ・ヴァザーリ作)。 宮殿前のシニョリーア広場は、中世のフィレンツェの政治の中心であった。ジロラモ・サヴォナローラが火あぶりの刑に処せられた場所でもある。ミケランジェロのダビデ像が置かれていたが、現在置かれているものはレプリカ。
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ヴェッキオ宮殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 02:15 UTC 版)
ヴェッキオ宮殿は市役所である。要塞を思わせる凹凸のある大きなロマネスク様式の宮殿で、トスカーナ州でも最も印象的な市役所となっている。シニョリーア広場に面していて、正面脇にはミケランジェロのダビデ像のレプリカがあり、隣のロッジア・ディ・ランツィには複数の彫像が展示されている。 元々はフィレンツェ共和国の支配体制をシニョリーアと呼んだため、シニョリーア宮殿 (Palazzo della Signoria) と呼ばれ、その後の長い歴史の中で、用途の変遷とともにポポロ宮殿 (Palazzo del Popolo)、プリオーリ宮殿 (Palazzo dei Priori)、デュカーレ宮殿 (Palazzo Ducale) などとも呼ばれた。メディチ家がアルノ川対岸側にあるピッティ宮殿に居所を移した後、現在の名で呼ばれるようになった。
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固有名詞の分類
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