ランズダウンの聖母
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 02:00 UTC 版)
19世紀にランズダウン侯爵家が所有していたことから「ランズダウンの聖母」と呼ばれる『糸車の聖母』は、二番目の作品だとされることが多い。ハイウィカム伯爵で後に第2代ランズダウン侯爵となったジョン・ペティが1809年以前に、おそらくは第4代ダーンリー伯ジョン・ブライから「ランズダウンの聖母」を購入した。1833年に侯爵の未亡人が売却しようとした美術品コレクションの目録に「ランズダウンの聖母」も記載されているが、このときには売買が成立しなかった。その後も侯爵未亡人の一族が所蔵していたが、後に初代バターシー男爵を授爵されるシリル・フラワーが1879年に未亡人の娘から「ランズダウンの聖母」を買い取った。1908年になって、パリを拠点とする画商のネイサン・ワイルデンシュテインとルネ・ジャンペル (en:René Gimpel) が、「ランズダウンの聖母」をフラワーの未亡人から購入している。この両人が1909年に、アメリカ人美術史家で当時有数の鑑定家だったバーナード・ベレンソンに「ランズダウンの聖母」の鑑定を依頼した。ベレンソンはマニエリスム期のイタリア人画家ソドマの作品だと鑑定したが、下絵次第ではレオナルドの可能性もあると考えていた。1911年頃の修復作業で、「ランズダウンの聖母」はオリジナルの板からキャンバスへと移植され、修復時にいくつかの修正が施された。もっとも大きな修復は幼児キリストの下半身を覆っていた腰布が除去されたことと、マリアの左手の描写だった。 1928年に「ランズダウンの聖母」はソドマの作品として、カナダ人実業家で美術品収集家でもあったロバート・ウィルソン・リフォードに売却された。1930年代になってから、美術史家ヴィルヘルム・スイダらによって「ランズダウンの聖母」にX線と紫外線による解析が初めて実施されている。解析の結果スイダは、幼児キリストと背景の風景はレオナルドが、その他の部分はミラノの工房の弟子が描いた作品であると結論付けた。1939年に開催されたニューヨーク万国博覧会に「ランズダウンの聖母」が貸与されたが、展示中に損傷を受けてさらなる修復作業を余儀なくされてしまっている。1972年にリフォード家は「ランズダウンの聖母」をオークションに出品した。ただしレオナルド作ではなくソドマ作としてであり、レオナルドの絵画作品であればありえないような安い価格しかつかなかった。「ランズダウンの聖母」はウィルデンシュタイン & Co. が買戻し、キャンバスに移植されていたこの作品を、1976年に複合材の板へと再移植した。1999年にウィルデンシュタイン & Co. はソドマではなくレオナルドの絵画作品として、現在のアメリカの所有者に売却した。この所有者は個人であり、非公開となっている。
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