ランス教区参事官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/18 01:56 UTC 版)
「ケルンのブルーノ」の記事における「ランス教区参事官」の解説
1075年、ブルーノはランス教区の参事官に任命され、教区行政に携わるようになった。このとき大司教だったのは、マナッセ・ド・グルネーであった。前任者ジェルヴェー大司教は、ブルーノの友人でもあり敬虔で知られた人物であったが、マナッセは粗暴な貴族で聖職にふさわしくない人物であった。1077年、ブルーノとランスの聖職者たちの求めにより、ド・グルネーはオータンの教会会議に査問された。ド・グルネーは、11世紀らしい、激しい権力闘争で応じ、反対者の徹底的な攻撃を行い、教皇にまで訴えでた。その結果、1080年に撤回されるまで、ブルーノは大聖堂所在地のランスから追放された。これに反対して民衆は暴動を起こし、ためにマナッセは追放を撤回し、当時の教皇グレゴリウス7世と激しく対立していたハインリヒ4世のもとへ逃亡した。
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