ジョン・ペティとは? わかりやすく解説

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ジョン・ペティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/24 05:27 UTC 版)

ジョン・ペティ
John Pettie
自画像(1881年)
生誕 1839年3月17日
スコットランド,エディンバラ
死没 1893年2月21日
イングランド,ヘイスティングス
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ジョン・ペティ(John Pettie RA、1839年3月17日 - 1893年2月21日)はスコットランド生まれの画家である。風俗画や肖像画を描いた。

略歴

エディンバラに生まれた。1852年に家族とスコットランド、イースト・ロージアンのイースト・リントンに移った[1]。父親は美術の道に進むことに反対したが、描いて見せた村の若者とロバの絵は絵の才能を父親に納得させた[2]

16歳でエディンバラの美術学校、トラスティーズ・アカデミー(Trustees Academy)に入学し、ロバート・スコット・ローダーに学んだ。同時期の学生にはウィリアム・オーチャードソン(1832-1910)やジョン・マクワーター(1839-1911)、ウィリアム・マクタガート(1835-1910)、ジョージ・チャルマーズ(1833-1878)らがいた[1]。1858年に王立スコットランド・アカデミーの展覧会に、スコットランドの小説家ウォルター・スコットの小説の場面を描いた絵と、2点の肖像画を出展した。ウォルター・スコットの小説の場面はその後も何度も描くことになった。1859年にも王立スコットランド・アカデミーの展覧会に出展し、1860年には、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会に出展し翌年、ロンドンに移り、オーチャードソンと共同でスタジオを開いた[2]

1866年にロイヤル・アカデミーの準会員に選ばれ、1874年にエドウィン・ランドシーアの後任として正会員に選ばれた[1]

熱心なアマチュア音楽家でもあり、若いスコットランドの作曲家、ヘイミッシュ・マッカンを自らのスタジオでコンサートを開くなどして支援した。ペティの娘はマッカンと結婚した。

作品

脚注

  1. ^ a b c Scottish Places. “John Pettie”. Scottish Places.info. 2012年2月19日閲覧。
  2. ^ a b Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Pettie, John". Encyclopædia Britannica. 21 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 336.

参考文献

  • The book John Pettie, R.A., H.R.S.A. (London, 1908), by his nephew Martin Hardie, gives the story of his life, a catalogue of his pictures, and fifty reproductions in color.



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