後世への影響と評価とは? わかりやすく解説

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後世への影響と評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 14:14 UTC 版)

董其昌」の記事における「後世への影響と評価」の解説

董其昌革新的な画風はすぐ後に続く呉彬・陳洪綬丁雲鵬・米鍾・李士達・盛茂燁などエキセントリックな画家松江派・杭州派・金陵派・新安派といった江南都市絵画、あるいは四王呉惲南宗正統派などの先駆となった。またその画論文人画家大きなよりどころとなった。以上のことから明末清初多様な絵画潮流は董から興ったといってよい。 後世において董其昌の画は高く評価されている。特に清の文人皇帝である乾隆帝董其昌書画愛したことで知られる。たとえば「婉孌草堂図」に対して22題もの記念の詩をぎっしり書き込んでしまっているがその偏愛ぶりが窺える。 しかし、現代になると董其昌への評価手厳しくマイケル・サリバンなどは技巧目立ちすぎ気韻見えないとしている。一方川原正二などは董其昌の書は筆力不足しているとしながらも画については手放し絶賛している。

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後世への影響と評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 20:11 UTC 版)

ジャンヌ・ダルク」の記事における「後世への影響と評価」の解説

ジャンヌその死後4世紀わたって半ば神格化されてきた。ジャンヌに関する伝記主たる情報源年代記よるものである。ジャンヌ有罪宣告受けた裁判の内容記した5冊の年代記装飾写本が、19世紀古文書の中から発見された。この発見からまもなく歴史家たちの手によって、115分の宣誓供述書異端審問裁判でのラテン語書かれ有罪宣告書の下敷きとなったフランス語での覚書など、ジャンヌ復権裁判の全記録も見つけ出された。当時やりとりされさまざまな書簡発見され、それらの中の3通の書簡からは「ジャンヌ(Jehanne)」という、明らかに読み書き教育受けていない人物の手による署名見つかった。これらジャンヌに関して発見され大量一次資料について、デヴリーズは「男女問わず中世人物のなかで、これほど研究の対象となっているものはいない」としている。 辺鄙な小村生まれた無学な農夫の娘ジャンヌ・ダルク10代にして途方もない名声を手にいれた。フランスイングランド国王は、およそ1000年前成立しヨーロッパ王位継承権根拠となっていたサリカ法解釈違い言い立て自分たちの立場正当化しつつ戦争継続した百年戦争王位継承権に関するフランス王家とイングランド王家との対立だったといえる。しかしジャンヌは、この両国間の戦争新たな概念視点もたらした。あるときジャン・ド・メスジャンヌに「フランス王が国を追われたら、我々はイングランド人となるのだろうか」と問いかけことがある。スティーヴン・リッチーは「雲の上王族たちが小競り合い繰り返したとしても市井の人々の暮らしは何も変わらない。ただし、市民祖国存亡の危機だと激怒したときは別だということジャンヌ理解していた」としている。リッチージャンヌ後世与えた広い訴求力次のように記している。 その死後5世紀わたって人々は彼女(ジャンヌ)をありとあらゆることに関連付けようとしてきた。悪魔崇拝神秘主義権力悪用言い訳近現代ナショナリズム始祖にして象徴畏敬すべきヒロイン聖人拷問におびえ、火刑処せられるそのときであっても、彼女は神の声導かれたのだと主張し続けた実際に彼女が神の声聞いたかどうかに関係なく、彼女がその生涯成し遂げたことを知った人は、誰もが驚嘆感嘆で心を揺さぶられることだろう。 — スティーヴン・リッチー 男勝り活躍をしたとはいえジャンヌフェミニストではなかった。ジャンヌ行動原理は、神の声聴き自身選ばれ人間だと信じたあらゆる階層人々見られる伝統的な宗教観に則ったのだったジャンヌフランス軍から戦闘に関係のない女性追い出し時には言うことを聞かないこれら非戦闘従軍者を剣の腹で殴りつけたこともあった。 しかし、ジャンヌ受けた重要な支援のなかには女性から受けたものもある。シャルル7世の姑であるアンジュー公ヨランド・ダラゴンジャンヌ処女性支持し、彼女がオルレアンへ向かうために必要な財政支援をした女性だった。コンピエーニュ監禁されていたジャンヌ監視責任者だったリニー伯の叔母ジャンヌ・ド・リュクサンブールは、ジャンヌ対す待遇改善しおそらくは彼女がイングランド軍へ引き渡されるのを遅らせようとした女性だった。そしてブルゴーニュ公フィリップ3世の妹で、ジャンヌ敵対していたベッドフォード公の妃アンヌも、異端審問先立つ審理ジャンヌ処女であると証言した女性だった 。これにより、異端審問ではジャンヌ悪魔交わって取引をした魔女であると告発することはできなかった。結果的にはこのことが、のちにジャンヌ正当性聖性証明する一助となった15世紀女権論者文学者クリスティーヌ・ド・ピザンから今日に至るまで、ジャンヌは勇敢で行動的な女性好例みなされている。 ジャンヌナポレオン1世時代から、フランス代表する政治的象徴だとみなされている。自由主義者たちは、ジャンヌ下層階級出身であることの重要性力説した。[要出典]初期保守主義者たちは、ジャンヌ王族対す献身強調したが、のちにジャンヌ国粋主義者であるとして、その評価撤回している。[要出典]第二次世界大戦では、親ドイツヴィシー政権と反ドイツのフランス・レジスタンス(英語版)の両方からジャンヌイメージ利用された。親ドイツで反イギリスヴィシー政権側は、ジャンヌイングランド対抗して戦ったことを思い出させる宣伝ポスター作成した。このポスターにはイギリス軍用機ルーアン爆撃しているイラスト描かれ、「こいつらはいつでも罪を犯しルーアン戻ってくる」という脅迫文句が書かれていた。一方レジスタンス側は、ジャンヌ祖国フランス占領していた敵国戦ったこと、ジャンヌ出身地であるロレーヌナチ占領下にあることを強調した1972年結成されフランス極右政党である国民戦線ジャンヌイメージ戦略使っている。政党会合場所にはジャンヌ彫像が、出版する刊行物にはジャンヌ肖像が、そして党章にはジャンヌ殉教モチーフとした三色旗使用されている。 フランス海軍にはジャンヌ・ダルクの名前を冠した種類異な艦船2013年現在までに3隻存在している。1902年竣工装甲巡洋艦ジャンヌ・ダルク1931年竣工軽巡洋艦ジャンヌ・ダルク1964年竣工ヘリ空母ジャンヌ・ダルクである。 エマニュエル・フレミエ1874年制作したジャンヌ黄金像ピラミッド広場パリ第二次世界大戦中シャルル・ド・ゴール率い自由フランス旗。中央の赤い十字架ジャンヌ象徴するロレーヌ十字である。 剣を振り掲げジャンヌ騎馬像。 カリフォルニア・レジョンドヌール美術館サンフランシスコ

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