後世への遺産と音楽様式
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「カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ」の記事における「後世への遺産と音楽様式」の解説
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの整理番号は、1905年にベルギーの音楽学者アルフレッド・ヴォトケンヌ(Alfred Wotquenne)が作成したヴォトケンヌ番号(Wq)と、アメリカの音楽学者ユージン・ヘルム(Ernest Eugene Helm)が1989年に作成したヘルム番号(H)の二つが併用されている。 カール・フィリップ・エマヌエル・バッハは、18世紀後半を通じて非常に高く評価されていた。すでにヨハン・クリスティアン・バッハと近しい間柄にあったヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、カール・フィリップ・エマヌエルについて「彼は父であり、われわれは子供だ」と言っている。実際、少年時代の1767年に習作として他の作曲家の鍵盤楽曲を編曲した一連のピアノ協奏曲の一つ「ピアノ協奏曲第3番 K.40」の終楽章は、カール・フィリップ・エマヌエルのチェンバロ独奏曲「ボヘミア人 La Boehmer」の編曲である。ハイドンの訓練の中で最良の部分は、カール・フィリップ・エマヌエル作品の研究に負っている。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、カール・フィリップ・エマヌエルの天才に対して、とりわけ心のこもった評価と尊敬の念を示した。 カール・フィリップ・エマヌエルがこのような立場を勝ち得たのは、ひとえにそのクラヴィーア・ソナタによってであった。これらの作品は、ソナタ形式の歴史において重要な時期を画しており、様式においては透明で、表現においては繊細で甘く、楽曲構造の自由さと多種多様な着想ゆえに名高い。作品の内容は、創意に満ちているにもかかわらず、感情の幅はやや狭めである。とはいえ思考は実直であり、しかもフレージングは洗練されていて絶妙である。カール・フィリップ・エマヌエル・バッハは、和声の色彩感を独自の手法で用いた作曲家のひとりであり、いっぽう旋律の美しさと親しみやすさによって、聞き手に感動を与えることをつねに目標として意識していた。おそらくそのために前古典派の作曲家の中で重要な先駆者となりえたのである。 19世紀に入ると、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの名は無視されるようになった。たとえばロベルト・シューマンは、「創造的な音楽家として父親とは余りにも格が違いすぎる」と述べている。しかしながらヨハネス・ブラームスは高い評価を惜しまず、いくつかの作品を校訂してさえいる。今日では、《フルート協奏曲ニ短調》Wq.22や、《チェンバロ協奏曲ト長調》Wq.3、《同ニ長調》Wq.11のほか、《専門家と愛好家のためのソナタ集》、オラトリオ《荒野のイスラエルびと》《イエスの復活と昇天 Die Auferstehung und Himmelfahrt Jesu 》Wq.240といった作品が再評価されるに至っている。鍵盤楽曲では、《ソルフェージェットハ短調 Solfeggietto》Wq. 117-2がピアノの練習曲として広く演奏される。 2005年にカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ全集(Carl Philipp Emanuel Bach: The Complete Works)が創刊され、クリストファー・ホグウッドの監修のもと、2014年の完成を目標に企画が進められている。
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