復権裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:11 UTC 版)
詳細は「ジャンヌ・ダルク復権裁判」を参照 百年戦争の終結後に、ジャンヌの復権裁判が開かれた。ローマ教皇カリストゥス3世も公式に承認したこの裁判は「(異端)無効化裁判(nullification trial)」とも呼ばれ、フランス異端審問官長ジャン・ブレアルとジャンヌの母イザベル・ヴトンからの要請によるものだった。この復権裁判の目的はジャンヌに対する有罪宣告と陪審評決が、教会法の観点から正当なものだったがどうかを明らかにすることだった。 修道士ギョーム・ブイユによる調査から裁判が開始され、ブレアルが1452年からこの裁判を主導することとなった。ジャンヌの復権裁判の開廷が公式に宣言されたのは1455年11月である。この裁判にはヨーロッパ各地の聖職者たちも関与しており、正式な法的手順を逸脱することのないように注視されていた。裁判に携わった神学者たちは115人分の宣誓供述を審理した。 1456年6月にブレアルは、ジャンヌが殉教者であり、異端審問を主導したピエール・コーションが無実の女性に異端の罪を被せたとする結果をまとめ上げた。ジャンヌの直接の処刑の原因となった男装については、女性の服装に関する教会法の観点から有効とされていた。しかしながら、有罪を宣告される過程においてジャンヌが拘束されていたことが教義上の例外にあたるとして、復権裁判では異端審問での有罪判決が覆されている。そして復権裁判法廷は、1456年7月7日にジャンヌの無罪を宣告した。 『シャルル7世年代記』の、ジャンヌとシャルル7世が描かれたミニアチュール。 1505年の装飾写本に描かれた、騎乗するジャンヌ。 『シャルル7世年代記』の、パリ攻撃が描かれたミニアチュール。 『シャルル7世年代記』の、捕縛されるジャンヌが描かれたミニアチュール。
※この「復権裁判」の解説は、「ジャンヌ・ダルク」の解説の一部です。
「復権裁判」を含む「ジャンヌ・ダルク」の記事については、「ジャンヌ・ダルク」の概要を参照ください。
- 復権裁判のページへのリンク