復権・首相再登板へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 06:12 UTC 版)
「ベンヤミン・ネタニヤフ」の記事における「復権・首相再登板へ」の解説
2009年2月10日に実施された、総選挙ではカディーマに第1党を譲ったものの、73万票弱を獲得、12議席から27議席へと大きく勢力を倍増させた。同選挙では、従来からの主張であるイランの核武装阻止、ガザ紛争後もハマースに対する攻勢強化を訴え人心を掴んだ。選挙戦の際にはゴラン高原を訪問、現地で植樹を行い入植地拡大を約束している。また、同選挙ではかつて政策的に激しく対立していたベニー・ベギン元科学相、ダン・メリドール元財務相と関係を修復するとともに、国民的人気の高いモーシェ・ヤアロン元参謀総長を三顧の礼で迎えた(3氏ともリクード公認・当選を果たしている)。同選挙では、政策的に近い右派・宗教政党が大きく躍進したことから、同諸政党が何れもネタニヤフを首相として推挙。同月19日にはこれまで態度を明らかにしていなかったイスラエル我が家がネタニヤフ支持を鮮明にしたことから、翌・20日にシモン・ペレス大統領がネタニヤフを首班とした組閣を要請。ネタニヤフ自身は、右派・宗教政党主体では政局運営が困難なことからカディーマを加えた大連立を模索しており、同月22日・28日に党首会談を行うも決裂。カディーマとの大連立は半ば断念するものの、労働党との連立交渉は進んでおり、政権発足は3月中旬になると見られていたが、労働党内で反発が強く労働党との交渉は難航。3月15日にはイスラエル我が家と政策合意、党首のアヴィグドール・リーベルマンの外相就任が確認された。同月23日には宗教政党・シャスと政策合意を果たした。31日には右派連立内閣が発足、ネタニヤフは10年振りに首相の座に返り咲く事になった。
※この「復権・首相再登板へ」の解説は、「ベンヤミン・ネタニヤフ」の解説の一部です。
「復権・首相再登板へ」を含む「ベンヤミン・ネタニヤフ」の記事については、「ベンヤミン・ネタニヤフ」の概要を参照ください。
- 復権・首相再登板へのページへのリンク